栃木県内初の落語協会の真打として活躍する足利市出身の落語家三遊亭歌橘(さんゆうていかきつ)(本名・恩田龍也(おんだたつや))さん(43)。父恩田稔(みのる)さん(75)に子育てを振り返ってもらった。

三遊亭歌橘さん

 歌橘は長男として誕生しました。たつ年生まれということもあって、そのまんま「龍也」という名前にしました。

 小さい頃は、とにかく昆虫やトカゲなどの生き物が大好きでした。今でこそ住宅が多い地域ですが、昔は周りは田んぼや桑畑だらけで自然豊かだったこともあり、近くの雑木林で捕まえたクワガタやカマキリを戦わせたり、トカゲの餌になるクモを捕りに行ったりしていました。

 ガマガエルを捕まえて飼っていた時期もありましたね。基本的には自由気ままに育てていました。

 大好きなことには時間を惜しまず取り掛かる反面、勉強も運動も苦手でしたね。中学生の頃、家庭教師を付けて勉強させようとした時期もありましたが、全くやる気を見せてくれませんでした。

 わが家は、私の父の代から続くアルミ製品の製造業を営んでいます。歌橘が生まれた1970年代は市内に数十軒と同業者がおり、しのぎを削っていました。今は安い中国製品が増え、市内の工場もほとんどなくなってしまいました。

幼稚園時代の歌橘さん

 子どもたちが小さい時は仕事が忙しい時期でもあったので、私の両親や妹が面倒を見てくれていました。

 なかでも歌橘はおばあちゃんが大好きで、一緒に民謡や三味線を習いに行ったりしていました。大会にも駆り出されて、祖母と同じステージで三味線を弾いていたこともありました。生き物が好きだったり、民謡や三味線を習っていたりと、ちょっと変わった子だったかもしれませんね。

恩田稔さん

 またご近所だったこともあって、書家の相田(あいだ)みつをさんが私の父と仲良しだったんです。いつもせったを履いていて、毎朝散歩した後に必ず寄ってくれて、あれこれ話していたようです。

 相田さんは歌橘にもよくしてくれて、二ツ目昇進の時には垂れ幕を作っていただきました。相田さんが亡くなった後、特集番組で歌橘がナレーションを担当するなど、何かと縁がありました。祖母と習った三味線や相田さんとの交流が、落語家を目指す上で影響したのかもしれません。