戦時中に父平一(へいいち)さんが書いた手紙を昨年、初めて読んだ足利市、久保安江(くぼやすえ)さん(80)の投稿です。
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1941年、太平洋戦争が始まった年に生まれました。田畑と山に囲まれた足利市田島町で祖父母と母、兄、妹、叔母の7人で、とても平穏な日常生活を送っていました。
終戦の年、私の家で突然お葬式がありました。幼かった私には分かりませんでしたが、何年も過ぎてから、それがフィリピンで戦死した父の葬儀だったと知りました。父は33歳でした。
2021年12月、母の50回忌法要を済ませた後で、父の手紙が母のたんすの中に残っていたことが分かりました。
3通あり、1通目は息子を連れて会いに来てほしいとの内容でした。2通目は「子供達の顔を見ずに行くのが心残りだ」「荷物を送る間が無い」とあるので、どこかに出発する時に書いたものでしょう。
3通目の「遺言書」には、家族に宛てた言葉が書かれています。私を含む子どもたちに対しては「お母さん、お祖父さん、お祖母さんの言ふ事を聞いて大きく成って下さい」と書かれていました。
父のことはほとんど記憶にありません。今は亡き祖父母や母にもう少し当時のことを聞いていれば、孫たちにも少しは戦争の話ができたのにと悔やまれます。