当時寮生活を送っていた早乙女さんの母冨貴子さんの写真

早乙女亮子さん

当時寮生活を送っていた早乙女さんの母冨貴子さんの写真 早乙女亮子さん

 母親の冨貴子(ふきこ)さんが生前、大学ノートに書き留めた戦時中のエピソードを送ってくれた栃木市、早乙女亮子(そうとめりょうこ)さん(64)の投稿です。

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 1944年3月27日、当時15歳だった母は、川崎市にあった東京航空計器で働くために同級生6人と小山駅から列車に乗りました。

 全国から300人以上が集まり、寮生活と仕事が始まりました。ところが数日たっても、着替えなどの日用品が入った母の荷物だけが届きません。母が祖母に手紙を出すと、驚いた祖母は川崎駅まで荷物を探しに来てくれたというのです。

 しかし、駅には名札が取れた行き先不明の荷物が山積みに。「この中から探し出すのは無理だ」と駅員に言われても、祖母は昼も食べずに何時間も探し回り、ついに見覚えのある行李(こうり)(竹などで編んだふた付きの箱)を見つけました。

 「中にどんな物が入っているか言ってみな」と駅員に促され、祖母が中身を思い出しながら言うと、間違いなく母の荷物。駅員は「おばさんは大した親だ!」とびっくり。祖母はうれしさのあまり、おなかが空いたことも忘れて、持ってきた白米のおにぎりを駅員にあげてしまったそうです。

 私も祖母のことをよく覚えていますが、とても社交的でお人よしな祖母らしいエピソードです。