戦時中の記憶を振り返る箱石さん。闇夜にあった空襲の光は脳裏に焼き付いている=那珂川町谷川、杉浦崇仁撮影

 終戦から8年後の1953(昭和28)年。二郎(じろう)さんの戦死公報が届きました。(行政から)遺骨を納めたという箱を受け取ったものの、実際には箱の中に骨など入っていなかったことが後に分かり、がっかりして、どうしようもない気持ちになりました。

 私は36歳、長女充子(みつこ)は13歳、長男英政(ひでまさ)は9歳。頼りの両親はもう他界していました。そうした中での夫の戦死報です。それこそ、殺鼠(さっそ)剤を飲み母子3人で死んでしまおうか-と考えるほど、当時は追い詰められました。