下野奨学会は、日本の将来を担う高校生を応援しています。

公益財団法人下野奨学会
第63回下野奨学生の卒業作文集「さくら」から

 公益財団法人下野奨学会は栃木県の優秀な人材育成に貢献するため、経済的に厳しい環境にある県内高校生に毎月、奨学金を給付し、就学を支援しています。

 2023年3月、県内高校を卒業した第63回下野奨学生21人の作文集「さくら」から、4人の作文を紹介します。

 奨学生のプライバシーに配慮するため、氏名や卒業高校名を匿名にし、文章の一部も変えています。

VOL.1 「一生の思い出」

県南地区県立高校卒業生(女子)

 この春、私は高校を卒業しました。長かったようで短かったこの三年間は、私の人生を変えるたくさんの経験ができた三年間だったと思います。

 待ちに待った憧れの高校生活は、新型コロナウイルスによる全国一斉臨時休校により、混乱と絶望の中、スタートしました。高校一年生として始めの二カ月は学校はもちろん、外出することさえまともにできませんでした。

 そして六月、分散登校から徐々にクラスみんなの顔を見ることができました。しかし、マスク着用必須のため相手の表情を目元で感じ、自分の表情を目元で相手に伝えるのはとても難しいことだと感じました。そんな感染対策を徹底する中、少しずつクラスになじみ友達も増え、ダンス部にも入部し、高校生になったんだなという実感がわいてきました。

 高校一年次は学校行事や部活動の大会やボランティアはほとんど中止となってしまいましたが、二年生、三年生になるにつれて徐々にできることが増え、私が高校生活で一番楽しみにしていた文化祭でダンス部としてステージ発表をすることができました。あの日のステージからの景色と感動は今でも鮮明に覚えています。また部活動では、一年次は中止となってしまった全国大会に二度も出場することができ、全国という大きな壁を肌で感じる貴重な経験をすることができました。

 高校三年生の夏、私は看護師になりたいという夢をもちました。人生二度目の推薦入試もやはり緊張しましたが、たくさん練習してきた自信をもち、落ち着いて受験することができました。その結果、見事合格し四月から看護師の勉強をしていきます。日々発展する医療の世界で学ぶことは、決して容易なことではないと思います。なので私が高校三年間、たくさんの経験を通して身に着けたコミュニケーション能力、根性、学び続ける力を十分に生かし、これからも頑張っていきたいと思います。

VOL.2 「これまでの自分とこれからの自分」

県央地区県立高校卒業生(女子)

 私はこの高校三年間で胸を張って一生懸命頑張れたといえることがあります。それは部活動です。私はバレーボール部に入り、全国大会を目指して努力しました。

 私は、小学一年生からバレーボールを始め、今までバレーボールが中心の生活を送ってきました。それは私だけではなく、一人で育ててくれた母もそうでした。私のチームは県で上位四つに入っていたので、たびたび遠征があり、その送迎も親の役目でした。他にもチームで服装をそろえるなど、なにかとお金がかかりました。このように私はさまざまな方の力を借り、不自由なく頑張ることができました。

 そして、その恩返しをするには結果を出すことが一番だと思い、バレー人生最後の大会で全国大会をかけた決勝に進むことができました。その試合では、自分ができる最高のプレーができ、今までで一番楽しい試合になりました。結果は負けてしまいましたが、楽しくプレーする姿を見せられたので少なくとも母には恩返しができたのではないかと思います。

 今までバレーボールしか頭になかったこれまでの自分ですが、いよいよ四月に社会人になるこれからの自分のことを話したいと思います。私は四月から就職し、社会人の一員となります。今までと違うことは責任が何事にもついてくるということです。自分のとる行動一つ一つに責任感をもち、自立した大人になれるように、苦手なコミュニケーションも大切にして、社会でうまくやっていけるように頑張りたいです。

 そして、今までお世話になった方々にいつかお会いできたときには、私も社会人だと胸を張っていえるように、毎日努力していきたいと思います。

VOL.3 「挫折と挑戦」

県南地区私立高校卒業生(男子)

 私は小学一年生のときからサッカーに打ち込んできたので、高校ではサッカー強豪校に入ってさらに高いレベルでやりたいと考えました。

 高校サッカーの全国の舞台に立つことを目標に、毎日の部活動は手を抜かず、地道な練習にも真剣に取り組みました。コロナ禍での部活動で、公式戦が中止になったりで、遠征や合宿ができなかったり、張り合いのない時期も長かったのですが、それでも、日々目標に向かってできる限りの努力を積み重ねてきました。

 しかし私は何度も足のけがに苦しめられ、なかなか思うように活躍することができませんでした。

 三年生になりけがからなんとか復帰して調子が上がっていきましたが、高校三年間の大会である選手権を前にして、今度は、腰を骨折してしまいました。夢にもうすぐ手が届きそうになったところで、私はサッカーを諦めることになり、今までの人生で一番大きな挫折を経験しました。

 しかし、そんな経験の中で、私は新たな夢を見つけました。今までの自分の経験を生かせて、けがや病気で苦しむ多くの人を助けることができる医師になりたい、と強く思うようになりました。

 容易に合格することはできない狭き門で、今年は力及ばずでしたが、私はもう一度挑戦します。もう一年勉強することを許してくれた親に感謝し、精一杯頑張ります。

 最後に、下野奨学会の皆様のご支援のおかげで、高校三年間安心して勉強に部活動に打ち込むことができました。本当にありがとうございました。将来、医師として栃木県に貢献できる人間になれるよう、精一杯努力していきます。

VOL.4 「私の三年間」

県央地区私立高校卒業生(女子)

 高校三年間を振り返ってみると、本当にいろんなことがあった。コロナ禍でイベントが制限され、私の想像していた「青春」は送ることができなかった。しかし、これからの人生でも付き合っていきたいと思えるような友人を得ることができ、日常生活における小さな幸せの重みを知ることができた。そして私の学校生活の中で最も記憶に残っていること、一番頑張ったことは言うまでもなく勉強だ。私の高校生活の賜物ともいえる勉強について述べようと思う。

 私は一年次から毎日コツコツと勉強に励んできた。長期休みは本当に苦しく、勉強から逃げたくなることもあったが、勉強をしないでいると罪悪感に襲われるという日々を送っていた。しかし、受験勉強を通して自分に合った勉強の仕方が分かってきたような感覚を覚えることがあった。集中して勉強する時はしっかりする、休む時はしっかり休む。これを自分自身のスローガンにして勉強に励んだ。

 そこからの日々は自分の結果を見つめ合う時間が増えた。模試の結果で一喜一憂することはあまりせず、最終的なゴールを見据えて勉強をすることを心掛けた。最後の長期休みであった冬休みは毎日学校に行き、日曜、祝日は図書館に行き、今までで一番頑張ったと胸を張っていえるような日々を送ることができた。私はそんな日々を送れたことをとても満足している。

 このように私が頑張れたのは友人、先生、家族の支えがあったからだ。そして今まで学校に通うことができていたのは下野奨学会の皆様のご支援があったからだ。私の周りのすべての人々に本当に感謝している。

 私は無事第一志望校に合格することができ、輝かしい未来に向けて第一歩を踏み出そうとしている。新たな友人との出会いや、大学生としての新生活を楽しみにしながら、私は私の人生が最高だったと言えるような悔いのない人生を送るため、これからも努力していく。