下野奨学会は、日本の将来を担う高校生を応援しています。

公益財団法人下野奨学会
第62回下野奨学生の卒業作文集「さくら」から

 公益財団法人下野奨学会は栃木県の優秀な人材育成に貢献するため、経済的に厳しい環境にある県内高校生に毎月、奨学金を給付し、就学を支援しています。

 2022年3月、県内高校を卒業した第62回下野奨学生20人の作文集「さくら」から、4人の作文を紹介します。

 奨学生のプライバシーに配慮するため、氏名や卒業高校名を匿名にし、文章の一部も変えています。

VOL.1 「高校生活」

県央地区県立高校卒業生​(女子)

 先日、卒業式が挙行され、私の高校生活は幕を閉じました。卒業してから数日が経過しましたが、まだ実感が湧いていないのが本心です。今、高校生活を思い返すと、さまざまな景色が頭に浮かびます。特に強く思い出されるのは、我慢と努力の経験です。

 私たちの生活は、私が高校二年生の時に一変しました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、学校は臨時休校になりました。一人で家にこもり学校からの課題をこなす日々がずっと続くのではないかと不安でいっぱいの毎日でした。

 学校が再開したものの分散登校で友達にも会えず、今までは友達と楽しく食べていた昼食の時間も自席で黙食となりました。行事も次々と中止になりました。楽しみを奪われた悔しさをどこにもぶつけることができず、苦しい時間が続きました。「あたりまえ」に過ごしていた日々がそうではなかったということを身をもって実感することになりました。

 そのような状況でも、受験は待ってはくれません。短縮授業になり理解が浅くなってしまった部分は、教科書や映像授業で学習し知識を補いました。三年次になってからは、同じ進路を目指す友達と毎日学校に残り勉強をしました。楽しみがない中での勉強はつらくて苦しいものでしたが、友達と支え合うことで努力を続けることができました。

 この我慢と努力の経験が自分を成長させてくれたと今では思います。我慢をしながら最後まで努力を続けるという経験は、人生でたくさんできるわけではありません。思い描いていた高校生活とは大きく異なってしまいましたが、それでも良い思い出です。

 最後に、三年間支援していただいた皆様に感謝申し上げます。大変お世話になりました。在校生の皆様が残りの学校生活を充実したものとできるよう、心よりお祈り申し上げます。

VOL.2 「東大を目指した三年間」

県南地区私立高校卒業生​(男子)

 長い高校生活と受験勉強が終わった。コロナの影響で文化祭、体育祭、修学旅行がなくなり、私の高校三年間は勉強づくしだった。

 二年生は休校から始まった。オンライン学習を見なさいという宿題が出されたが、わが家は当時ネット環境が整っていなかったので、教科書のみで勉強しなければならなかった。しかし、逆にこの時に他人に頼らずに自力で学習していくことの重要性とその術を知ることができた。二年の最後に東大の同日体験模試を受けた。この時何もすることができず、東大との距離を思い知らされた。

 三年生になって受験勉強が本格化した。放課後も夏休みも毎日毎日勉強した。そして、共通テストを迎えた。当日数学が全然できず、東大受験は終わりか、とも思った。しかし、今年の共通テストは超難化で、むしろ東大受験生の平均点よりも高かった。

 その後二次試験対策をした。最後の一カ月は本当に苦しかった。共通テストとは違い、なかなか突破口が見出せなかった。そんな中でも、何とか合格できるくらいの実力までに上げた。そして二次試験当日、意外にも全く緊張しなかった。その結果は残念ながら不合格だった。不合格であったものの、全力を出しきった結果なので、私はとても清々しい気持ちだった。

 この受験生活を通して学んだことは、目標を高く掲げることの大切さだ。東大受験の傍ら早稲田大や明治大の理工学部を受験したのだが、過去問を解いていないにも関わらず合格できた。東大を目指していなかったら不合格だったろう。この東大受験という経験は私の人生を豊かにするものとなった。進学先はこの作文を書いている時点では未定だが、大学でも貪欲に高みを目指していきたいと思う。

 最後になりますが、下野奨学会の皆様には三年間本当にお世話になりました。立派な大人になっていつの日か恩返しができるようにこれからも頑張ります。本当にありがとうございました。

VOL.3 「勇気のつけ方」

県央地区県立高校卒業生​(女子)

 三月一日、私は高校の食品化学科を卒業しました。卒業式当日まで実感が湧かず、卒業式から数日たってようやく実感が湧いてきました。それくらい、クラスの友人と過ごす時間があたりまえのように感じていました。

 三年前の四月、入学当時は「三年間このクラスでは絶対に楽しく過ごせない」と思っていましたが、気が付けば卒業していました。高校生活はあっという間だとは聞いていましたが、新型コロナウイルスの影響で休校が続くなどして、なおさら早く感じました。

 いまだに新型コロナウイルスは猛威を振るっていますが、今思えば高校生活の半分以上が何か制限がある生活を送っていました。多くの人が自由を奪われ我慢の多い生活をしていたと思います。特に学生は、楽しみにしていた行事が無くなり、思い出もあまり作れなくなりました。

 ですが、こんな我慢の多い生活を送ってきた私たちには、この先どんな困難が立ちはだかっても乗り越えられるだけの力がついたと思っています。

 在校生の中には、今年受験で不安になっている人、行きたい就職先に就職できるか不安に思ってる人、学年が上がり勉強についていけるか心配な人、何か新しいことを始めようとしていて心配になっている人など、多くの不安や心配でくじけそうになっている人も少なくないと思います。

 私も就職先で新たな環境で一から仕事をしていくことに不安や心配は尽きません。ですが、現在進行形で困難に立ち向かっている私たちには、先ほども言いましたが、乗り越えられない不安や心配はありません。私は、不安や心配に思ったら、そう思うようにしています。自分で体験しているからこそ信憑性があると思います。なので、ぜひ、皆さんも試してみてください。応援しています。

 最後になりますが、三年間、手厚い支援をしてくださった下野奨学会の皆様、大変ありがとうございました。毎月届く温かいメッセージに勇気と元気をいただき、とても嬉しかったです。三年間ありがとうございました。本当にお世話になりました。

VOL.4 「作業療法士との出会い」

県南地区私立高校卒業生​(女子)

 私は、高校三年間を一度も休まずに終えることができました。そして四月からは、作業療法学科の大学生になります。私が「作業療法士」を志すのは、父が脳梗塞になったことが関係しています。

 私が中学二年生の時に、父は脳梗塞を患いました。六時間にも及ぶ手術を乗り越えた父を待っていたのは、リハビリ漬けの生活でした。家族でよくリハビリを見学しており、その時に出会ったのが「作業療法士」という職業でした。これは、私が最も印象に残っている出来事です。父が大きな後遺症を残すことなく退院できたのは、医療従事者の方たちの支えがあったからです。

 医療専門職は「作業療法士」だけではなく、さらに同じリハビリの職種で「理学療法士」と「言語聴覚士」もあります。「なんで看護師じゃないの?」と聞かれることもあります。それでも私が「作業療法士」にこだわる理由は、「作業療法士」は、家事や細かい作業を通して、日常生活を不自由なく送れるよう精神面から支援するためです。

 私は父のリハビリから、穏やかな気持ちで不自由のない生活を送ること、それが一番の幸せなんだと気付きました。リハビリは、つらくて大変なものだと思っている人が多いと思います。だからこそ私は、患者さんの趣味などを活用した楽しいリハビリを提供できる「作業療法士」になるのが目標です。そして、この経験を強みにして、患者さんと患者さんの家族の心に寄り添いたいです。

 今まで特に夢なんかなかった私は、大きな夢を手にすることができました。幼児から高齢者までさまざまな症状の患者さんを笑顔にできる「作業療法士」を目指します。

 最後に、下野奨学会の皆様へ。三年間支援してくださり、本当にありがとうございました。支援してくださったことを忘れず、素敵な「作業療法士」に向かって精一杯努力していきます。