鳥羽幸江さん

鳥羽幸江さん

 戦争で父親を亡くし、残された家族で戦後の食糧難を乗り越えた父光男(みつお)さん(83)の話を聞いた真岡市、鳥羽幸江(とばゆきえ)さん(52)の投稿です。

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 父はお酒を飲むと、よくこんな話をしていました。

 終戦前のある夜のこと。祖母(光男さんの母親)が目を覚ますと、戦地にいるはずの軍服姿の祖父が現れ、祖母の顔を見詰めていた。

 驚いた祖母は「父ちゃん、どうした」と声を掛けたが、何も言わず悲しそうにしていた。

 その後間もなく、祖父が八丈島で亡くなったとの知らせが届いた。享年38歳。父は6歳だった。

 空腹がつらかった戦後。祖母が作るわずかな野菜を食べて過ごした。

 父の六つ下の弟はいつも腹を減らして泣いていた。古くなったリンゴ1個を4人のきょうだいで分け合うと、弟はよく「大人になったら1個のリンゴを1人で食べるんだ!」と言っていた。

 その弟と親戚宅を訪ねた時。家族皆でおにぎりを食べていた。父の顔を見るなり「隠せ!」と言って、全員でおにぎりを背中に隠した。この出来事が本当に悔しくて忘れられない-。

 その後、父は祖父と同じ大工の道を歩みました。祖父の無念さや祖母の絶望感、不安を思うと苦しくなります。それでも懸命に生きた祖母や父、伯母、叔父を誇りに思います。