栃木・繁桂寺 現存する「学寮」の看板

 栃木市藤岡町藤岡の繁桂寺(はんけいじ)は1944年8月から46年3月まで、東京都牛込区愛日国民学校(現新宿区愛日小)の児童約40人を受け入れていた。

 先代住職の繁岡哲哉(しげおかてっさい)さん(82)は2018年に物置の中から、子どもたちの疎開先だったことを示す看板を見つけた。「繁桂寺学寮」。木製の板に、墨字で記されていた。

疎開児童を受け入れていた「繁桂寺学寮」の看板=6月中旬、栃木市藤岡町藤岡
疎開児童を受け入れていた「繁桂寺学寮」の看板=6月中旬、栃木市藤岡町藤岡

 かつて看板は本堂正面入り口の左側の柱に掛かっていた。疎開児童が当時の住職に宛てた絵手紙にも描かれている。

 学寮の看板は終戦直後に廃棄処分された。ほとんど残っておらず、現存するのは全国的にも珍しいとされる。

疎開児童が当時の住職に宛てた絵手紙をまとめた「繁桂寺だより」。「繁桂寺学寮」の看板も描かれている
疎開児童が当時の住職に宛てた絵手紙をまとめた「繁桂寺だより」。「繁桂寺学寮」の看板も描かれている

 愛日小の児童は例年修学旅行に合わせて繁桂寺を訪れ、先輩たちの暮らしぶりを学ぶなど現在も同校と寺の交流は続いている。

 繁岡さんは「看板や絵手紙が残っていることが、ここが疎開児童を受け入れていた場所だという大きな証。残された資料を生かし、当時の状況などを後生に伝えていく必要がある」と話した。

日光・川治地区コミュニティセンター お礼に贈られたピアノ

 日光市の川治地区コミュニティセンターには「疎開ピアノ」が残る。旧藤原町(現日光市)へ学童疎開していた東京都の国民学校から、お礼として贈られたとされるピアノ。地元住民らが大切に保管している。

東京都の国民学校から贈られたピアノ=6月下旬、日光市藤原
東京都の国民学校から贈られたピアノ=6月下旬、日光市藤原

 ピアノには「学童集団疎開記念 東京都南海国民学校」との板が付いており、昭和19年8月とも記されている。以前は同市川治小中学校の校舎内に置かれていたが、長年使われておらず、ほとんど音が出ない状態だった。

東京都の国民学校から贈られたピアノ=6月中旬、日光市藤原
東京都の国民学校から贈られたピアノ=6月中旬、日光市藤原

 修理や調律を行って2010年、同校の閉校式で再び音色が披露された。その後はセンターに移し、地域住民が定期的に弾いて音を確認している。

 川治自治会元会長の関本昭(せきもとあきら)さん(83)は「学童疎開を受け入れたこの場所に、このピアノが今もあることが大事。これからも地域で引き継いでいきたい」と話した。

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