幼少期を中国・青島で過ごし、7歳で帰国した宇都宮市、菊池亨江(きくちみちえ)さん(84)の投稿です。
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父の仕事のため、青島に住んでいました。町には日本軍の部隊があり、近くの浴場に兵隊さんが来ていました。
その中に父と同じ田原村(現宇都宮市)出身の10代後半の青年がいて、上官に連れられて時々、家に寄ってくれました。近所に友達がいなかった私は「カズミさん」というその兵隊さんが大好きで、兄のように慕っていました。
1943年、父は現地で召集令状を受け出征しました。その後、戦況は緊迫。45年4月、母は私と弟を連れて、日本に引き揚げることを決意しました。
けがや病気で帰国する軍人の集団と共に、汽車と船を乗り継いで約1カ月半。兵隊さんが「海に投げ出されても、3日ぐらい抱っこして泳いであげる」と言ってくれたのを覚えています。
空襲にも機雷にも遭うことなく、5月に無事、父の実家に戻ることができました。その頃、敵機は沖縄に集中していたのでしょう。沖縄の犠牲の上に自分が助かったのだと思うと、いたたまれなくなります。
父はその3年後、復員しましたが、カズミ兄さんはとうとう帰ってきませんでした。