戦禍の残像 継がれる痛み ⑤遺骨(上)

戦友伝えた伯父の最期

 

 上三川町内の墓地。8年前に97歳で亡くなった稲葉一男(いなばかずお)さんが眠っている。フィリピン・セブ島で生き残った旧日本兵だ。

 

 12月上旬、さくら市鹿子畑、農業岡崎清治(おかざきせいじ)さん(69)が手を合わせ、胸の内で「遺骨収集へ、一歩を踏み出せました」と語りかけた。稲葉さんは、岡崎さんの伯父、故勝(まさる)さんの戦友だ。

 

仏壇に飾られている稲葉さんの遺影=12月上旬、上三川町大山
仏壇に飾られている稲葉さんの遺影=12月上旬、上三川町大山

 

 伯父はセブ島で命を落とし、80年たった現在も遺骨は帰ってきていない。その最期を、岡崎さんは稲葉さんが残した手記で知った。

 

    ◇  ◇

 

 勝さんは旧上江川村(現さくら市)出身。戦争まっただ中の1944年2月、後に岡崎さんの母親となる同じ村のタカさんと結婚した。新婚生活はわずか4カ月。激戦の南方戦線に送られ、26歳で生涯を終えた。

 

 戦後、タカさんは勝さんの弟と再婚し、6人の子をもうけた。岡崎さんは四男で勝さんは伯父に当たる。タカさんからは「マラリアにかかって命を落とし、戦友が埋めてくれた」としか聞かされていなかった。

 

 「母は悔しかったはず。でも再婚した時に思いを封印したのだろう」とおもんぱかる。「伯父のことをもっと知りたい」。ずっとその思いが消えなかった。

 

 戦後70年近くが経過した2014年末。岡崎さんは下野新聞の記事でセブ島から復員した稲葉さんを知り、対面をかなえた。

 

    ◇  ◇

 

 稲葉さんの手記。「なんとか穴を掘って埋めてから草花を取って上げて手を合せて帰る」。伯父の最期はそう記されている。

稲葉さんがセブ島での戦争体験などを書き残したノート
稲葉さんがセブ島での戦争体験などを書き残したノート

 

 生前の稲葉さんについ勢い込んで尋ねた。「下痢になって寝込んでたが、病状が急変して亡くなった」「上官と自分が宿舎の30メートル先に埋めた」と教えてくれた。

 

 手記の写しを持ち帰った。「読むだけじゃ頭に入らない」と、3、4年かけて仕事の合間を縫って書き写した。

 

 証言をかみしめ、手記の一文字一文字をたどっていく。凄惨(せいさん)な戦場、戦友たちの最期を脳裏に描いた。伯父との「距離」が近づいたと感じ、思いや姿も次第に鮮明さを増してきた。「遺骨を取り戻したい」との願いも強まっていく。

 

稲葉さんが遺したノートにはセブ島で戦病死した岡崎勝さんの最期が書き残されていた
稲葉さんが遺したノートにはセブ島で戦病死した岡崎勝さんの最期が書き残されていた

 

 稲葉さんが生前、線香をあげに亡くなった戦友の家を訪ね歩き、四国八十八カ所の霊場を巡った弔いの心も分かるようになった気がした。

 

 「自分もできることをして供養したい」。戦後長い年月をへて、たどり着いた意識の変化。自らの遺骨収集活動へ、手記が背中を押した。

 

稲葉さんが眠る墓に手を合わせる岡崎さん
稲葉さんが眠る墓に手を合わせる岡崎さん