流転の大地 開拓者の記憶 ③100歳の証言(下)

言語絶する開墾「誇り」

 

 21歳で満州(現中国東北部)から復員した岡見俊雄(おかみとしお)さん(100)は1946年10月、出身地の茨城県から大田原市中央部にある旧陸軍「金丸原演習場」跡地に入植した。

 

 45年11月以降、全国から復員兵らが入り、その数は地域の開拓史に「100余名」との記載が残る。食糧増産や、引き揚げ者の雇用対策として国が進めた開拓事業の一環だった。

 岡見さんは、当時を知る数少ない初代入植者だ。

 

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 入植当初は手作りのかやぶき屋根の掘っ立て小屋で暮らした。広さわずか5畳。電気は通っておらず、長らくランプの明かりだけが夜の頼りだった。

 

戦後、岡見さんが開拓した旧満州東北部を訪れた際の写真。広大な平原で麦などを育てたという
戦後、岡見さんが開拓した旧満州東北部を訪れた際の写真。広大な平原で麦などを育てたという