遺構は語る

戦後80年。戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦禍の記憶は薄れつつあるが、人知れず立つ碑やひっそりと残る跡が、あの大戦を後世につないでいる。県内各地の痕跡を随時紹介する。
 
 

 

「疾風」の主翼部品 製造

女学校生徒も勤労動員

 太平洋戦争末期に陸軍の主力戦闘機だった「疾風(はやて)」を生産した中島飛行機。製造拠点の一つ、宇都宮製作所の分工場が現在の大田原市美原にあった。

 

 
 

 設立には同製作所の栗原甚吾(くりはらじんご)所長が尽力した。那須野ケ原に敷地を探し求め、現在の大田原中や美原公園などのある一帯を選定。「中島飛行機宇都宮製作所大田原工場」として1943年に操業を開始した。