移ろう学び舎 国民学校と教育 ⑥戸惑う教師

恩讐超え続ける訴え

 

 「恩讐(おんしゅう)のかなた」を生きてきた。

 宇都宮市峰町、鈴木宣次(すずきのぶじ)さん(91)は1945年の終戦の時、中央国民学校(現中央小)6年だった。「負けた」と分かった時、悔しくて涙が止まらなかった。

 米兵を見かけても、お菓子をもらいに行けなかった。「危険な存在」と教え込まれ、「日本人の誇り」が許さなかった。

 翌年、宇都宮中学(現宇都宮高)に入学する。授業で扱われるようになった英語との出会いがあった。日本語とは全く異なる発音や文法が「新鮮」。英語教師の授業がユニークでもあり、夢中になった。

 まちに目を向けると進駐軍の米兵がいる。