喜連川国民学校や喜連川尋常・高等小学校の校務日誌。計66冊がさくら市指定文化財となっている

移ろう学び舎 国民学校と教育 ①校務日誌(上)

開戦で児童の日常一変

 

 零時三十五分空襲警報発令サル

 1942年4月18日土曜日、天気は晴れ。ある春の日の出来事が、喜連川国民学校(当時)の校務日誌に綴(つづ)られている。

 4年生だった秋元和男(あきもとかずお)さん(92)=さくら市喜連川=は、その学び舎(や)にいた1276人の児童のうちの一人。1機の米軍機が低空で北へと飛んでいく姿を目にしたことを覚えている。