倉井少尉の供養の石碑が立つ雑木林(中央手前)から群馬県太田市方面の西の空を臨む。奥は浅間山

 

少尉のいしぶみ 野木の空戦 ㊤目撃

上空で散った機体 脳裏に焼き付いた戦争

 

 倉井利三(くらいとしぞう)少尉-。米軍爆撃機B29に日本軍機でぶつかり命を落とした軍人の名が、地域でほそぼそと語り継がれた。倉井少尉の碑は野木町佐川野に今も残る。ただ80年の歳月で、当時を知る人は減った。

 

 

 

 「鳥の周りを飛ぶハエのように小さかった」。近くに住む大森博(おおもりひろし)さん(91)は小学5年生の時、日本軍機の墜落を目撃した。

 

80年前のあの日とよく似た空の下、B29の編隊が飛行する情景を思い起こす大森さん=2024年12月下旬、野木町佐川野
80年前のあの日とよく似た空の下、B29の編隊が飛行する情景を思い起こす大森さん=2024年12月下旬、野木町佐川野

 

 1945年2月10日、ラジオからは空襲への警戒情報が流れていた。昼ごろ、自宅庭の防空壕(ごう)の前で、青空を西へ向かう20機ほどのB29が目に入った。

 

 その付近を飛ぶ1機の日本軍機。よろけたように見えた直後、機体が散った。パラシュートが開き、ホッとした。だが突然、糸は切れ落ちた。