「夜は戦いの時間」 働きながら家族を支える日々 自宅で兄を介護する女性
夜に見つめる 第2部「命と日常を守る」①
自宅のリビングに並ぶフォトフレームには、幼いころ、きょうだいが仲睦まじく遊ぶ写真も残されていた。
2月上旬の木曜日、午後7時過ぎ。団体職員梅園由貴枝さん(64)は宇都宮市伝馬町の自宅で、同居する90代の父と二つ年上の兄と夕食を終えた。
食卓を片付けたら家族だんらんの時間、とはいかない。梅園さんは、障害がある兄が金曜日から月曜日まで通う、ショートステイ(短期入所生活介護)の支度を始める。兄が計10回の食事で服用する薬を間違えないよう、日付と朝・昼・夜をペンで書き込んだ小袋に仕分けていく。
着替えの服、下着、歯ブラシなどもそろえてスーツケースに詰める。準備をほぼ終えたところで「あっ、シェービングクリームを買ってなかった。(買いに)行かなくちゃ」とつぶやいた。
自宅で家族の介護を担う梅園さんに、リラックスする余裕はない。「夜は戦いの時間です」
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ショートステイの準備が終わった午後8時。梅園さんは翌朝7時半に出勤するため、父や兄が食べる朝食や昼食の下準備を始めた。みそ汁に入れるダイコンを切り、マグロは煮物にする。「お兄ちゃん、好きなセロリも買ったから明日食べてね」と話しかけ、手を動かし続ける。「あれこれしているとあっという間に時間が過ぎちゃいます」
兄は生まれて間もなく脳性まひと診断された。以前は自分で外出し、運動するなど活発だった。加齢とともに歩行が難しくなり2年前、脊椎を手術し、体がほぼ動かせない状態で退院した。リハビリでも回復せず、生活全般に介護が必要な「要介護5」となった。
当時は母も難病を患っていた。梅園さんが働きながら3人を支える生活。勤務中もたびたび電話が鳴った。多忙で当時の日々の記憶がほとんどない。約1年前、母が91歳で亡くなった。
「母の苦しみが終わり、私の手も1人分空いて少しほっとした思いもありました」。本音にためらいが混じる。今は休日に1人でドライブし、友人と食事する時間も作っているが、普段は日中、掃除や食事の手伝いのサービスや、排泄の介助での訪問介護サービスを利用している。「兄や父をいつも気に掛けている自分がいますね」と話した。
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午後9時半。梅園さんは兄にハーネスを付け、介護リフトで車いすからベッドへと移した。体を動かすのが好きだった兄は体格が良く体重が70キロを超えるため、この作業は簡単ではない。
「ハーネスを体に密着させるのが1番難しい。慣れて、早くできるようになりました」。間もなく定期巡回の介護スタッフである大塚典子さん(60)が自宅を訪れ、兄の排せつの介助、オムツ交換を済ませた。
午後11時、兄は眠りに就く。少しだけ、ゆったりとした時間が流れた。夜中や未明に兄や父から呼ばれ、起きることも多い。まとまった睡眠を取ることは簡単ではない。
「私はちょっとした隙にソファでうたた寝もできるし、それで何とかなっているかも」「昨日もソファでうたた寝して、午前3時に兄に起こされたの」と笑った。
リビングのフォトフレームには幼いころの兄、由貴枝さん、弟の遊ぶ姿も残されていた。両親は「兄が犠牲になって2人が元気に生まれた」とよく話していた。そしてきょうだいを隔てなく接してくれた。親子、きょうだいの仲は良かった。「昔から優しい兄が好き」という気持ちは年を経ても変わらない。
若い時分、梅園さんは結婚もした。夫からある日、こう言われた。「障害者の兄がいる君と結婚しなくても、いくらでも相手はいた」。その瞬間、自分の中で何かが切れた。間もなく離婚した。そう言われたことは両親が悲しむと思い、伝えなかった。
時間の経過につれて兄や父のできないことが増えていく。先が見えず、つらいと感じることは確実にある。
でも亡くなった母は、日頃から障害のある兄のことも悲観せず「なるようにしかならないから」と言っていた。兄も「家が一番良い」と言っている。自分が元気なうちはできるだけ自宅で介護を続けようと思う。希望ではなく、絶望でもない介護に向き合う理由は、家族という言葉に集約される。
「今日もジムに行って30キロを超えるベンチプレスを挙げてきましたよ。まずは自分の体が駄目にならないようにね」。戦いの時間は続いていく。

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