秋も本番になってきました。芸術の秋、読書の秋ですが、県内には有名な句碑・歌碑がたくさんあります。その中で、今回は日本を代表するような俳人、歌人、小説家の詠んだ俳句と短歌とそれを刻んだ句碑や歌碑を紹介します。紙上での文学散歩をお楽しみください。

 
 
 俳聖の足跡たどり追体験     
雲巌寺 ~大田原~

 

 

生涯に約1000句を詠んだという俳聖松尾芭蕉。1689(元禄2)年に弟子の河合曽良と深川を出発し「おくのほそ道」の旅へ。後に有名な「おくのほそ道」を執筆しました。  

その旅の中で、大田原市黒羽に最も長い期間となる14日間滞在。黒羽に到着して3日目の4月5日に雲巌寺にある参禅の師、仏頂和尚の山居跡を訪ねた時の句です。  

市黒羽芭蕉の館学芸員の新井敦史さん(53)は「芭蕉は黒羽から雲巌寺まで12㌔を歩き訪ねます。キツツキは寺ツツキの異名があり、寺の屋根をも壊すとされる鳥です。そのキツツキでさえも、敬意を払い仏頂和尚の庵は破らずに、夏木立の中に今もこうして残っているとの思いを詠んだ、師への尊敬の念を込めた句です」と話します。  

(問)同館☎0287・54・4151。
アクセス:大田原市役所から雲巌寺まで車で35分。

 

 

 
 敬愛する正造の墓のそば     
惣宗寺 ~佐野~
 

佐野厄除け大師として多くの参拝者が訪れる春日岡山惣宗寺は、足尾鉱毒問題に取り組んだ田中正造が演説会の会場などに使用し、本葬が執り行われたことでも知られます。境内には渡良瀬川流域産の大きな自然石でつくられた正造の墓があり、傍らには「一握の砂」で有名な石川啄木の歌碑が建っています。 

1901年、正造が足尾鉱毒被害の救済を求めて明治天皇に直訴したことは、センセーショナルな出来事として全国的な話題となりました。

盛岡中学4年生だった啄木は、正造の直訴に感銘を受けて歌を詠み、鉱毒被害民へ義損金を贈ったというエピソードが残ります。啄木生誕百年を記念して建立しました。

(問)同寺☎0283・22・5229。
アクセス:佐野駅から徒歩15分。

 

 
 
 交流、そして再会の記録    
ホテルニュー塩原 ~那須塩原~
 

 

生涯で数回塩原を訪れたことのある谷崎潤一郎。潤一郎は、1921(大正10)年の夏から初秋にかけての1カ月、宮本ウメさん宅に逗留していました。その後、57(昭和32)年に再度塩原を訪れたときに、お世話になったウメさんとの36年ぶりの再会と、80歳を超えたウメさんの長寿の祝いと合わせて詠んだ祝いの歌。  

琴を立てかけたよう見えることから名前が付いた「七絃の滝」。文学碑はそのすぐ近く、ホテルニュー塩原の駐車場に建っています。

 

(問)塩原温泉観光協会☎0287・32・4000。
アクセス:JRバス関東・妙雲寺入口塩原門前バス停より徒歩3分。車は交流広場か塩原温泉観光協会に駐車可。
 

 

 
 塩原への愛 二人で100首  
せせらぎの湯宿満寿家 ~那須塩原~
 

 

1910(明治43)年に初めて塩原を訪れ、34(昭和9)年にも来塩。塩原を詠んだ歌は二人合わせて100首以上の作品が残り、文芸雑誌「冬柏」に鉄幹作41首、「塩原遊草」として晶子作59首が掲載。晩年までおしどり夫婦として仲睦まじい様子だった二人。  

竜化の滝に行く道中の風景を歌った2作品は直筆を模写したおしどり歌碑として「せせらぎの湯宿満寿家」の玄関前に建っています。

 

 

(問)塩原温泉観光協会☎0287・32・4000。
アクセス:JRバス関東・塩原温泉バスターミナルすぐ目の前。車は観光協会に駐車可能。

 

 
 

 

 目に映る自然に溶け込む     
花石神社 ~日光~

 

 

1922年10月末に、群馬県から金精峠を越えて日光を訪れ、湯元と中禅寺に各1泊、日光町に住む友人斎藤江塘宅に2泊して宇都宮市に向かった若山牧水が、馬返から電車に乗り鳴虫山を眺めて詠んだ一首。

花石神社は、日光連山18の山の神を祭っており、1645(正保 2)年に徳川三代将軍家光公が社殿を改修した、二荒山神社の末社。現在は自治会が管理しています。鳥居をくぐると日光市指定文化財である大杉がそびえたち、奥に美しい朱塗りの社殿が建つ知る人ぞ知る神社です。

歌に詠まれている鳴虫山を望む花石神社に歌碑を建立。高さ2㍍の根府川石に、牧水の自筆で刻まれています。  

(問)花石神社総代・玄梅さん☎0288・54・2834。
アクセス:東武・JR日光駅より東武バス「花石町」下車 徒歩3分。

 

 
 

 

 秋のたそがれ、しみじみと    
湯っ歩の里 ~那須塩原~

   

 

歌人でもあり小説家でもあった節。病気の転地療養を行うため2カ月間滞在のほか、何度か塩原には訪れています。  

この歌は、日暮れ時のやや物悲しい秋の塩原の情景を詠った歌。短い生涯だった節は、正岡子規を師事していたこともあり、夏目漱石が娘にも読ませたい小説と言っていたほど素晴らしい文学者だったと伝えられています。

歌碑は湯っ歩の里の開設に伴い2006(平成18)年に建立。ほかに夏目漱石と室生犀生の文学碑も同園庭に建立されています。  

 

 

(問)塩原温泉観光協会☎0287・32・4000。
アクセス:塩原畑下バス停から徒歩3分。車は同施設に駐車可能。園庭は無料ですが施設は木曜休。

 

 
 
 いにしえの情景 浮かべて     
大神神社 ~栃木~

 

(栃木市史より)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人の藤原定家の詠んだ歌(新勅撰和歌集)。都に駐屯する衛士がかがり火をたいているのを見て、霧がかかる室の八嶋の情景を詠んだと考えられています(諸説あり)。  

室の八嶋は平安時代以来、「煙(けぶり)たつ室の八嶋」として知られた東国の歌枕。定家の時代に下野国のどこであったか場所が特定できず、時代によっても変わっている可能性があります。  

栃木市惣社町の大神神社境内の室の八嶋は、池の中に橋で結ばれた八つの小島があります。境内に松尾芭蕉の句碑などもあります。  

 

(問)(問)大神神社☎0282・27・6126。
アクセス:東武鉄道宇都宮線 「野州大塚駅」から徒歩約15分。

 

 
 
 改名前、掛詞も華麗に    
宇都宮二荒山神社 ~宇都宮~
 

 

江戸中期の俳人・画家である与謝蕪村は、宰鳥(さいちょう)と号していた修業時代に、松尾芭蕉の行脚生活に憧れて東北地方を周遊。1743(寛保3)年年末から翌年正月にかけて宇都宮の俳人佐藤露鳩(るきゅう)宅に滞在。その時に編集発行した歳旦帳(宇都宮歳旦帳)の表紙には「寛保四甲子 歳旦歳暮吟 追加春興句 野州宇都宮 渓霜蕪村輯(しゅう)」と記されており、宇都宮で「蕪村」と名乗ったと言われています。  

この句は、宇都宮二荒山神社で新年の夜明けを迎えた鶏が、勢いよく羽ばたいている姿を詠んでいます。また、「羽をうつ」と「宇都宮」「宮」と「宮柱」とを掛けた華麗な句で、宰鳥として詠んだ最後の句とされています。  

(問)宇都宮二荒山神社☎028・622・5271。
アクセス:JR宇都宮駅からバス5分。正面石段の左にある遊歩道の石段を登り途中にある。