
本名・原優子=はら・ゆうこ)
1958年、福岡県北九州市生まれ。大分県立芸術緑丘高日本画コースを卒業後、1976年に京都へ。日本刺しゅうの会社勤務を経て、1979年、夫、着物図案家の津守順と共に制作活動に携わる。2000年に益子に移住。2006年、津守氏死去後も画風を引き継ぎ、運筆家として制作を続ける。墨絵工房ファクトリージュン取締役。
(問)津守さん
080・5524・0803
http://www.factoryjun.net/
満開の桜や時計草、朝顔など、着物やのれんに描かれた日本の四季。陶芸の里・益子で、運筆家として墨絵を描く津守優子さん(56)は、着物や帯をメーンにTシャツ、タペストリー、扇子など多彩な作品を制作しています。手描きによる墨絵の世界を地道に発信している津守さんに、墨絵の魅力や作品に込める思いなどを聞きました。
一筆で濃淡●初めに「運筆」について教えてください。
まさに、その字のごとく「筆の運び」です。絵画でいう基本、デッサンですね。一番初めは〇(丸)を描くことからスタートします。京都には、絵を描きに行く道場のような場所があって、「運筆しに行く」と言います。着物に描く人も器に描く人も習っていました。
運筆は一筆で濃淡をつけます。濃淡をつけて一筆で面を描き、その組み合わせで花や葉を表現します。
●この世界に進まれたきっかけは。
「日本」が好きなんです。私が通った高校は、音楽と美術を専門に学ぶ学校でした。その美術科で3年間のうち2年間、日本画を専攻しました。日本の伝統に心ひかれ、高校生のころから神社仏閣を巡り、美術品や仏像、建築などを見ました。
卒業後、京都の日本刺しゅうの会社に就職し、デザイン室で図案を描いていました。着物図案家だった亡き夫と出会い、制作の手伝いを始め、夫の描いた絵を基にTシャツや巾着、ポストカードなどを作っていました。
●京都から益子へ移住されたのは。
「田舎暮らしをしたい」という夫の希望でした。益子といえば、クリエーティブな町。すでに移住した知人が、充実した田舎暮らしを楽しんでいらっしゃったのも大きなきっかけになったと思います。
仕事も順調で、益子の自然を感じながら、これからもっと田舎暮らしを楽しめるという時、夫の病気が分かりました。それから亡くなるまでの3年半、夫の画風を引き継ぐため、特訓しました。

●作品制作について、テーマや大切にされていることは何でしょう。
手描きによる墨絵の素晴らしさを多くの人に知ってほしいという思いで筆を運んでいます。
「顔料」が色のベースです。綿や麻の布は樹脂系のものを混ぜて色落ちを防ぎます。
だいたいが和柄の柄物です。最近はバラを描き出しました。時代ってどんどん変わって、好みも変わっていきます。「いいな」と思う花も変わってきます。その時の感覚に頼っています。そうすると、デザインもどんどん出てきます。今は、草花よりもインパクトのある花を描いています。


●ご苦労されていることは。
デザインよりも、色で悩みます。地色の決まっている着物よりも、ワンピースやTシャツの方が悩みます。地色がさまざまあるので、それに対してイメージ通りのものができないことです。
また、足腰が大切です。筆を持って構えた時に、足腰が安定していないと、特に長い線などを思うように描けません。なので、日頃ランニングを心掛けてています。
●墨絵の魅力はどんなところでしょう。
筆のタッチがそのまま絵に表現されます。それが墨の濃淡であったり、線に表れたり、色のぼかしに表れたり、一筆で表現できるので、見た瞬間に「気持ちいい」「きれい」と思ってもらえるものを心掛けています。
●読者へのメッセージ、今後の抱負を。
今、世の中は洋風に流れています。せっかくの「日本の文化」という思いで、「和」にこだわっています。インパクトのある、ポップな絵を描きたいと思っています。
そして、もっといろんな人に着物を着てほしいので、ちょっとお出掛けできるような、おしゃれでカジュアルに着られるリーズナブルな着物が私のテーマです。職人さんをはじめ、呉服業界は男性の世界。だからこそ、女性の目線で作品を作りたいです。


■展示会の予定
・6月3~16日、日本橋三越本館5階「スペース♯5」。
・7月には、松坂屋名古屋店北館5階イベントスペースにて行う。
・毎年、益子の陶器市(春、秋開催)に出店。