新聞論 ~地方紙で働くということ~

 小山市の思川に架かる橋のたもとに、小さな2体の地蔵があります。2004年9月12日未明、この近くで3歳と4歳の幼い兄弟が川に投げ込まれ、殺害されるという痛ましい事件がありました。地蔵は2人を供養するため、名も知れぬ誰かがそっと置いたものです。2人は同居していた男から日常的に虐待を受けていました。

 事件から9年後、小山総局に赴任した際、この地蔵の周辺をボランティアで清掃している女性たちがいることを知り、会いに行きました。「大雨の時に思川が増水して、お地蔵さんが流されそうになったんです。役所に訴えても、動いてくれなくて…」。女性たちは、川のほとりにある地蔵の移設を口々に訴えました。

 ただ、取材を進めると、移設には課題があることが分かりました。河川敷にある設置者不明の地蔵を行政が勝手に動かすことは、法律上困難だというのです。その状況を伝えようと、一本の記事を書きました。

 《供養地蔵 安置先見えず/市民、流出懸念「移設を」/県・市、法が壁「対応苦慮」》

 すると、台風が接近したある日、県職員らが「有志」の立場で地蔵を安全な場所に緊急避難させてくれたのです。思ってもみない展開でした。安住の地を得た兄弟地蔵の表情は、穏やかに見えました。記者をしていてよかったと思えた瞬間でした。

 事件から2024年9月で20年。地蔵は今もそこに立っています。犠牲になった幼い2人に手を合わせる人、お菓子やおもちゃを供える人が絶えることはありません。下野新聞は、この事件を報じ続けています。悲劇を繰り返さないために。

 地元紙の記者は、その地に住み、同じ生活者として喜怒哀楽を共にし、記事を書きます。人とふれあいながら仕事ができることが、大きなやりがいでもあります。世間の耳目を集めるような大きな話題ばかりではありませんが、そこには地域に生きる人々の確かな息づかいがあります。それらを一つ一つ拾い集め、紙面やデジタルを通じて発信する。小さな記事の積み重ねが少しずつ社会を変えていく。それが私たちの仕事であり、地方紙の役割なのです。

 県民・読者と思いを共有、共感することによって生まれる小さな変革は、この社会全体の変革と地続きであると信じています。生身の記者が現場に足を運び、人々と出会い、何かを感じ、記事が生まれる。そうやって形作られた新聞の価値は、人工知能(AI)が瞬時に文書を作り出す現代においても何一つ変わりません。

 兄弟地蔵がそうであったように、栃木県内には埋もれた社会課題がまだまだたくさんあります。それらを掘り起こし、人と地域をつなぐために一緒に仕事をしてくれる。そんな「共感のパートナー」を待っています。

下野新聞社 取締役 主筆

三浦一久