新たに見つかった田中正造の晩年の肖像写真

田中正造直筆の書「徳不孤」

新たに見つかった田中正造の晩年の肖像写真 田中正造直筆の書「徳不孤」

 足尾銅山鉱毒事件の被災民救済に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)(1841~1913年)の直筆の書と肖像写真が、さくら市狭間田の旧家で発見された。未発見の貴重な資料となる可能性がある。専門家によると、この旧家は鉱毒事件の被害を広く訴えたキリスト教思想家内村鑑三(うちむらかんぞう)(1861~1930年)と深い親交があり、内村と共に正造を支援した旧家に書と写真がもたらされたとみられる。

 書と写真は、さくら市ミュージアムで23日から12月24日まで開催される企画展「青木義雄(あおきよしお)と内村鑑三」で公開される。

 新資料が見つかったのは、内村に師事し物心両面で内村を支えた実業家青木義雄(1869~1951年)の旧宅。この家に住む孫の大村務(おおむらつとむ)さん(71)が今年6月、明治期に建てられた衣装蔵を企画展に合わせて整理し、ミュージアムに持ち込んだ資料の中にあった。

 宇都宮市文化財保護審議会委員で正造の研究者でもある郷土史家大嶽浩良(おおたけひろよし)さん(73)がこれらの資料を7月に調査中、「徳不孤 六十七正造」と書かれた書(縦25センチ、横61センチ)を納めた額を発見。正造の晩年の写真(縦9センチ、横6センチ)も青木家の家族写真などの中から見つかった。

 書は1908年ごろに書かれたもので、「徳のある人は決して孤立しない」という意味。大嶽さんは「正造はこの時期、支援者が次々と去り孤立を深めていた。鉱毒問題に対する正造の強い意志が感じられる」と解説する。

 大嶽さんはこれまで3回、正造の手紙や書を確認しており、字体から直筆と判断した。また、佐野市郷土博物館も「断定はできないが、正造の字体に似ており新資料に間違いないのではないか」としている。

 大嶽さんによると、書は田中正造全集(岩波書店)などには収録されていない。同博物館によると、写真も正面からの同様のものはあるが、収蔵品にはないという。

 大嶽さんは「内村の指示で青木は正造を支援し、近況を知らせていたのではないか。書は青木の支援に対するお礼と考えるのが合理的」と話している。