東日本大震災の発生から7年。生まれ育った岩手県陸前高田市で被災し、現在は茂木町に住む会社員、山田啓介(やまだけいすけ)さん(19)は11日、同町内で町民ら約100人を前に、あの日を語った。4人の親友を失って心の整理がつかず、断っていた講演。7年がたち「被災者として、社会人として、今生きている自分ができることは何か」との思いを強くし、この日に臨んだ。

 震災当日、小学6年生だった山田さんは防波堤で8人の仲間と釣りをしていた。揺れを感じたのは自宅に戻った30分後。大津波警報が発令され、姉とともに弟や妹がいる小学校に向かった。家族の無事を確認した後、会員制交流サイト(SNS)で仲間8人の安否も確認できた。しかしその後すぐに津波が到達。仲間4人との連絡は途絶えた。

 山田さんは、警察官の父と救急救命士の母の教えで避難場所や避難時の装備、応急処置の仕方などを学んでいた。「一緒にいれば助けられたかもしれない」。やり場のない悔しさで、しばらく自分を責めた。震災後の引っ越し先では、心ないいじめにも遭ったという。「色眼鏡で見られたくない」。見知らぬ人の前では、震災当時の話を口にしなくなった。

 高校を卒業し、1年前に茂木町で就職した。ボランティアをしていた子ども食堂の関係者から、今回の講演の依頼を受けた。顔を出して話をするのに抵抗はあった。しかし時がたち人々の記憶が薄れることを憂えてもいた。「自分が話せば、いつ起こるか分からない次の災害で誰かの命が助かるかもしれない」。講演を引き受けた。

 講演会では、携帯電話などに残していた詳細な記録を時系列にまとめ、震災発生から1カ月間の出来事、感じた思いを率直に話した。「泣きそうだったので」と家族らとのやりとりは、他のスタッフに朗読を頼んだ。