生乳生産量が本州一の那須塩原市は「牛乳で乾杯条例」や「ミルクタウン戦略」など、基幹産業を地域の活性化に結びつけようと取り組んでいる▼酪農の歴史をひもとくと、広大な原野だった那須野ケ原の開拓にさかのぼる。明治時代に初代県令鍋島幹(なべしまみき)による県営那須牧場を皮切りに、地元の有力者が創設した那須開墾社が1881(明治14)年に牛乳の生産と販売を開始した▼政府高官や文豪が訪れた塩原温泉などで消費された。その後、続々と立ち上がった華族農場の中でも乳牛が飼われた。同市の那須野が原博物館で開催中の特別展「那須野が原に農場を~華族がめざした西洋」で本州一の軌跡が理解できる▼金井忠夫(かないただお)学芸員によると、国内の華族農場は旧大名家が多い北海道と、明治の元勲などが中心で19を数え、本州では最大の那須野ケ原に集中している▼渋沢栄一(しぶさわえいいち)と三菱財閥の岩崎久弥(いわさきひさや)らが開拓を検討したが、利益が見込めないとみて断念した経緯も興味深い。荒れた大地の開墾は容易ではなく、多くの華族農場は採算を度外視した農場主の私財投入で辛うじて維持された。彼らの名は戸田、青木、品川、三島など地名として残されている▼特別展には華族が使用した馬車や洋食器、実際に着用した狩猟用上着や靴下などが展示されている。欧州文化への強い憧れが伝わってくる。