【会見全文】ブレックス渡辺「全ての悔しさ清算できた」

 2016−17年シーズン限りで引退する栃木ブレックスのガード渡辺裕規が28日、記者会見で胸の内を語った。一問一答の全文は以下の通り。

 ◆ ブレックス特集

 −引退の理由は。

 「4年前にパナソニックが廃部になった時、それまでは社員選手だったが、プロ選手になるということでいろいろと考える時間が多くなった。後のキャリアがどうとかではなく、まだ全然若かったが、その頃から少しそういうことを考えていた。ただ、今後どうしようとかは考えていない。例えば体力の限界だったり、パフォーマンスが低下したというのもないが、そういうキャラクターなので許していただきたい」

 −いつ決意したか。

 「正直言うと、けっこう前から思っていた。最近かと言われたら、そうでもない。このチームに入るタイミングでは少し考えていた。それで4年間やってきて、いろいろな変化があるかなと思ったが、このタイミングでということになった」

 −決意のきっかけは。

 「それは特にない。強いて言うなら、パナソニックの3年間でチームがなくなったというのは大きい。そこでブレックスから話をいただいた時に考える期間があったことが一番のきっかけだと思う」

 □□□ この年で終わろうと思っていた

 −日本一になったことや、30歳を前にしてという節目を感じてということは。

 「優勝で終えられたと言われるが、前からこの年で終わろうと思っていたので、優勝したらとかそういうことはなかった。元々引退するつもりでいて、僕の中では最後のシーズンだから全力を尽くして、自分のために、支えてくれている人たちのために頑張らないとなと思っていた。30歳というのは、少なからずあったかもしれないが、そんなに表だった理由ではない」

 −今の心境は。

 「この4年間というのは、プレーオフに出て、アイシンに負けて、東芝に負けてといういろいろ苦しい思い出だった。だが、最後のこのシーズンで全てその悔しさを整理できた。僕の中では本当に悔しさが何も残っていないので、ああすればよかったなというのが何もない。本当に最後優勝してみると、その悔しかったことが今となってはいい思い出に清算されたのかなとはすごく思う」

 −印象に残っている試合は。

 「悔しいことも全て残っているし、でも、やっぱり最後のシーズンのチャンピオンシップ(CS)。そういう光景を見られずに終わっている選手もたくさんいるので、バスケットをやっていて幸せだったなと思えるようなCSだった。最後のCSの光景は、ファンの皆さんや指導してくださった方々のおかげで見せていただいたなと思う」

 −今後について。

 「ないというのもおかしな話だが、今の時点ではないとしか言いようがない。もし何か、お仕事があればいただきたい」

 −バスケットに携わりながらというのは。

 「バスケットの指導やコーチングするんだったら、まだ続ける方が僕としてはいいので、そういう意向はない。でもバスケットをここまでやらせていただいたので何かで携われたらとは思うが、そういう方はたくさんいるし、僕の出る幕はないのかなと」

 −復帰、撤回の可能性は。

 「人を竹田(謙)さんみたいに言わないでくださいよ(笑)。ないですね、今のところ。今のところというか、ないです」

 □□□ ファンは日本一

 −来季を戦うブレックスへ。

 「僕なんかが偉そうに言うことではないが、今季の戦いを見ても、リリースになった選手もいるが、選手が変わってもブレックスとして変わらないというのは、あのCSを見たら分かる通り。ファンの方は日本一だと思っている。うちのアリーナに来たらやりづらいことは確かだし、その根本的な部分が崩れなければ大丈夫だと思う」

 −ファンにメッセージを。

 「栃木でバスケットができてよかったと思わせてくれるファンやメディア、スポンサーの方たちがいるので、一度この栃木でバスケットをやってほしいと思えるようなチームだった。本当に感謝しかない。今後また、僕はいないが、同じ歓喜を味わえるように、ブレックスがリーグを引っ張っていけるように応援してほしい」

 −パナソニックを退団後、プロ選手として考えることがあった。

 「その時はまだ25、26歳なので、そこまで明確には引退というのは思っていなかった。だが、社員で残れる体制のパナソニックから環境が変わるというのと、初めてのことが多かったので、正直なところ不安はあった。その不安と引退は関係ないが後のことを考えた時に、どこまでバスケットをやるのかという今後のキャリアのことを本当に考え出したのはその時期」

 −プロになったからこそ、どこで引き際を決めるかということ。

 「それはいずれ考えないといけないと思っていた。こういった場で『体力の限界です』と言って辞めていくのが一般的なのかなと思うが、この先の人生も長いと自分は思っている。バスケットを最大限ぎりぎりまでやり尽くしてこれ以上ないというところで辞めるのもあると思ったが、自分の中ではこの先もいろいろなことを経験した方がいいなというのもあったので、このタイミングということになった」

 −(パーソナリティーを務めていた)ラジオでもやれることがあるのでは。

 「お話をいただけたらいいが。とりあえずはいろいろ自分の中で考えたりしなきゃいけないので、いったんは置いておく話。また機会があればとは思うが、そのころには忘れられているかな」

 −米NBAのゲスト解説もやっていたが。

 「興味はあるが、バスケットに携わっている人がやるべきだと思うので、そういう方を差し置いてはできない」

 □□□ 4年間は96点…いや、100点

 −この4年間を100点満点で言うと。

 「96点。こういうところで100点ってい言う人いるのかな。いや、100点にします。なんで96点って言ったんだろう。100点です。やりたいと思っていたラジオとかバスケット以外のこともいろいろやらせいただいて充実していたので、100点です」

 −すがすがしい気持ち。

 「はい。悔しいことやつらいことが清算された。全部前ふりだったんじゃないかって思えるぐらい、今回の優勝で(清算された)。僕だけじゃなくて他のメンバーも、僕より前からチームにいる田臥さんとか、勝てなかった時代を経験している人はさらに喜びもひとしおだと思う。喜びだけ残るようなシーズンだった」

 −一緒にやれてよかった選手、プロとして勉強になった選手は。

 「もちろん田臥さんは模範となるような選手。プロとしてどうあるべきかという像が、できあがる前からずっと先陣を切って、語らずとも見せてきた選手なので、プロバスケットボーラーの見本となるような人。でもブレックスに来て、田臥さんだけじゃなく、他の選手も見ていて成長を感じるプレーヤーもいれば、ひたすら努力するようなプレーヤーもいるので、本当にいろいろな人に刺激を受けてやってきた」

 −栃木での4年間で、もっと続けたいと考えることはなかったか。

 「バスケットをやっている時や普段の生活で、それ(引退)ばかりを考えることはなかった。引退を思い出しながら、何考えてんだろう、引退なんて考えてたなって思うようなことが起きていれば、今ここで会見はしていない。意外と意志が覆らなかった。思いが変わらずに自然と『ことしが最後の年だな』という思いで今季やっていた」

 □□□ やっていて楽しかった

 −この1年はどんなモチベーションでプレーしていたか。

 「今思うと、前のシーズン、川崎にブレックスアリーナで負けたこととか、前のアイシンに負けた年とかも、よく考えたらすごく硬くなってたなって思う。その2年、硬さとかフラストレーションがあったりしてすっきりしないでシーズンが終わって、すごく悔しかった。最後のシーズンだというのもあったし、Bリーグ初代チャンピオンになれる土台が整っていたので、調子悪かろうが、責任は持ちながら思い切り、悔いなくと思いながらやっていた。優勝したからというのもあるが、1年間振り返って、山あり谷ありだったが思い切りできてやっていて楽しかった」

 −引退について、誰か選手に相談していたか。

 「していない。でも終盤はみんな察していた。いろいろな人に影響を与えてしまうし、シーズン中に発表とかもしたくなかったので、なおかつCSに進むっていう時だったので、報道にも出さないようにした。ご迷惑をかけないように、と」

 □□□ 決勝前日、田臥キャプテンに

 −引退を最初に伝えた選手は。

 「誰だろう。みんな同じぐらいのタイミング。近しい人には言っていたかもしれないが。(田臥)キャプテンには決勝の前の日に、代々木の選手控え室で言った。だからそれは一番最後だったかも。忙しくされていたので。でも察している風だった。『優勝して終わろうな』と言ってもらった」

 −思い出す試合やプレーなどは。

 「今季レギュラーシーズンは苦労した。オールジャパンも負けてしまったし、ばらばらになりかけた場面もあった。選手、スタッフがぎりぎりのところまで追い詰められたので、簡単に優勝できるシーズンではなかった。それであのCSだったが、ほとんど逆転勝利で、どれとは挙げられない。いろいろなストーリーがあった。アイシンの最後のフォーメーションをつくったのが(安斎)竜三さんだったり。選手だけじゃなく、一丸で勝ったから、挙げられない。最後ジェフ(ギブス)がアキレス腱を切っちゃったのも、あれがもし残り5分ぐらいだったらとか思うと寒けがするし。いろいろなことが良い方に向いて勝ったなという思いなので、個人のパフォーマンスのハイライトを挙げろと言われたら、本当に自然に出てこない。それほどチームで戦った」

 −引退の決意は、パナソニックを退団して元々4年間というイメージがあったのか。

 「僕の感覚では30歳というのはすごく大事な時期なのかなというのを思っていて、30歳までバスケットやったらもうそのままずっとやるかなというイメージもあったが、このタイミングでというのはすごく思っていた。あと1年ぐらいと言われるが、そういうモチベーションで1年を戦ってもいろいろな意味で失礼になる」

 □□□ 次のシーズンが大事

 −これからの日本のバスケットに期待すること。

 「恐れ多いが、次のシーズンが大事なのかなと思う。ここまで盛り上がったのはいろいろな人の力添えだと思うが、それを無駄にしないためにも2年目でさらに発展してほしい。メディアにも多く取り上げられるようになってきて、本当に定着するかは次のシーズン次第だと思う。元々バスケット界はいろいろなことがあって、周りの人は(バスケット選手のことを)知らなかった。僕がバスケット選手やっていると言ったら『社会人でしょ』とか『草バスケ』とか言われたりもした。会社員のころは。そういう意味ではBリーグっていう名前ができて、Bリーグ選手って言えるということは、もっと一人一人がプロ意識を持たなきゃいけない。これから1億円プレーヤーが出てくるとか、そういう風にするためにも、一人一人が意識を持たなければいけない。特にブレックスの選手は元々プロなのだから、これからそれを引っ張っていってほしい」

 −今後のイメージは。

 「言わせよう感がすごいですが、ないです。でもバスケットは一切なしというのはない。コーチングとかはないというだけで、全部切ろうとは思っていない」

 −これからプロバスケット選手を目指す子どもたちへアドバイスを。

 「今からバスケットをやる子は幸せ。プロリーグというステージができているので。でもアメリカにはNBAというところもあるから、田臥さんのような選手がどんどん出てきて、そこを目指すということがまずは重要だと思う。Bリーグが盛り上がるためには日本代表活動もすごく大事だと思うし、五輪もあるので、トライしてほしい。その意味でもBリーグができたというのは素晴らしいこと。Jリーグやプロ野球というのと一緒で、どのチームに入りたいと小さい子たちが言えるような世の中になっていったらいいかなと思う。ブレックスもいろいろな活動をしているので、栃木県の選手がブレックスの試合を見てブレックスに入りたいと言って入って、ここで会見するような日がくればいい」

 −バスケット人生を振り返って。

 「元々いろいろなチームから勧誘される選手ではなかったので、天狗になると駄目なタイプで、勘違いしてはたたかれというようなことの繰り返しで、人間的に成長してこられた。どちらかというと泥くさい方で、勘違いしそうな時に、自分はスター性のある選手じゃないと言い聞かせながらここまで戦ってきた」

 −順調なバスケット人生ではなかった。

 「小さい頃からバスケット選手になりたいと思っていたが、なれるなんて思っていなかった。大学の恩師にもプロになると思わなかったと言われた。高校も、何回も何回も練習に行って、どうにか入れてもらったぐらい。どちらかと言ったら反骨心でやってきた」

 −バスケットをプレーした20年を振り返って。

 「地獄のような練習なんかもあったが、途中で辞めたいと思わなかったのは、やっぱり楽しかったから」

 □□□ こんなにいいチームない

 −ブレックスがバスケット人生の最後のチームになる。

 「幸せだった。もしバスケットを辞めないとしても、どこかのチームに移籍するなんてことはなかった。このチームで一回バスケットやったら、よく移籍するなぁと思う。こんなにいいチームはない」

 −ブレックスの魅力は。

 「まずは温かい。ファンもモラルがしっかりしている。負けたらたたいてもらって結構だが、批判するにもしっかりマナーの上でやってくれる。パレードとか試合見てくれたら分かる。行政の方も協力してくれて。一丸となってブレックスを応援してくれているというのは他のチームにはないと感じている。ぎりぎりまでバスケットやって辞めるとなってもこのチーム」

 −この先は何でもできる未来が待っている。

 「小学1年生のような気分で進んでいかないと。バスケットしかやっていないので怖いですね」