もみじ通り周辺に店を構える店主らを中心に始まったイベント。世代問わずファンが多い(2017年11月)

塩田大成さん

もみじ通り周辺に店を構える店主らを中心に始まったイベント。世代問わずファンが多い(2017年11月) 塩田大成さん

 「おしゃれな通り」として、旅行ガイドブックなどで紹介されるもみじ通り。商店街がなくなり、かつて人が離れてしまった地域が、いかにして進化を遂げたのか。地域再生のきっかけを生み出した建築設計、空間プロデュースなどを行う「ビルススタジオ」の代表塩田大成(しおたたいせい)さん(42)にその足跡を聞いた。

 生活雑貨や生鮮食品を扱う店が並ぶ「もみぢ通り商店街」があった昭和時代。地元住民でにぎわっていた地域だが、2007年、店主の高齢化や中心市街地の空洞化などから商店会が解散し、たちまちシャッター通りと化した。

■生活基盤を共に■

 「街おこしをしているという感覚はないんですよね」。生まれ変わったもみじ通りは注目を集め続ける一方、火付け役の塩田さんはひょうひょうと答えた。

 09年、手狭になった事務所を移転しようと物件を探していた塩田さん。「メインの通りから外れていて静か。かつて武家屋敷街だったため上品な雰囲気が漂っていて、外から来た人もなじみやすい。何より物件が安価…」。偶然にも、生活拠点を置くには好条件な場所に出合った。

 「常に念頭にあるのは、仕事と家庭生活を充実させるため、いかに心地いい環境をつくれるかということかな」

 飲食店や総菜店など「日常的にほしいもの」を街にかき集めようと構想していたところ、那須塩原から市内へ移店したいカフェがあるという情報が。塩田さんは早速、生活基盤を共に形成する仲間を“ナンパ”しに向かった。

 カフェの店主に思いは通じ、物件探しや賃貸の交渉に出陣。10年夏にカフェ食堂「FAR EAST KITCHEN(ファーイーストキッチン)」がオープンした。以降、子ども服店や雑貨店、ドーナツ店などこだわりを持った幅広いジャンルの店が続々と登場。13年からは個性豊かな店主らが結束し、おもてなしイベント「あ、もみじずき」が開かれるようになった。

 一人が自身の生活と向き合うことで、街が変わるんやね。