水没した車内で見つかった母博子さんの携帯電話を見つめる高橋雅人さん=8月上旬、東京都新宿区

 最愛の母への思いは、年を重ねるごとに膨らんだ。2008年8月、鹿沼市の車水没事故で母の同市千渡、高橋博子(たかはしひろこ)さん=当時(45)=を失った一人息子で東京都中野区、音楽家の雅人(まさと)さん(29)。事故からの月日を「あっという間の10年だった」と振り返る。「今も母が夢に出てくる。生きていたら、どんな人になっていたのかな」。そう思いを巡らし、母の存在を力に変え、音楽活動を続けている。

 雅人さんは現在、ジャズピアニストと二胡(にこ)奏者として、都内を拠点に多忙な日々を送る。

 事故当日、雅人さんは音楽留学先の中国から帰国した。空港からの高速バスの中で祖母から連絡を受け、母に何かしらの異常事態が起きたと感じた。自宅に戻り、豪雨で視界が遮られる中、車で探し回った。その後、県警からの一報で母の事故を知った。

 帰国の途についた雅人さんはその日、鹿沼市内のバス停留所まで博子さんに迎えに来てもらう約束だった。事故はその途中で起きた。

 事故後、警察や消防の初動ミスが発覚し、19歳だった雅人さんは真相解明や防止策を市に求め続けた。誹謗(ひぼう)中傷に苦しむこともあったが、「自分でもよくやったと思う。それだけ母のために必死だった」と心境を話す。

 小学3年生の時から母子の2人暮らし。雅人さんは中学卒業後に音楽留学で中国に飛び立った。短すぎた母と過ごした時間に、事故への無念さが増す。

 もし事故がなければその年の冬、一緒に中国旅行に行くはずだった。覚悟を決めて音楽を学んだ国。「一緒に撮った写真もほとんどない。もっと一緒にご飯や旅行に出掛けたかった」。

 事故直後、人前に立つ余裕がなく音楽活動をやめかけた。しかし今は、母が力を与えてくれる。今年は初めて仕事を優先し、命日の墓参りを9月にずらした。

 「母への気持ちは薄れることがなく、本当は(墓参りに)行きたい。ただ、天国から見守ってくれていると思うので、一生懸命音楽を続けたい」