舩坂弘さん(家族提供)

アンガウル島に舩坂が建立した慰霊碑(中央右)は二度の移転や修復を経て、今は島西方の海岸近くに立つ。碑文には「平和の礎のため勇敢に戦った守備隊の冥福を祈り、永久に功績を顕彰し感謝と敬仰の誠をここに捧げます」などと刻まれている=2016年9月、パラオ(篠原直人さん提供)

アンガウル島に舩坂さんが建立した慰霊碑(右から3番目)は二度の移転や修復を経て、今は島西方の海岸近くに立つ。碑文には「平和の礎のため勇敢に戦った守備隊の冥福を祈り、永久に功績を顕彰し感謝と敬仰の誠をここに捧げます」などと刻まれている=2016年9月、パラオ(篠原直人さん提供)

舩坂弘さん(家族提供) アンガウル島に舩坂が建立した慰霊碑(中央右)は二度の移転や修復を経て、今は島西方の海岸近くに立つ。碑文には「平和の礎のため勇敢に戦った守備隊の冥福を祈り、永久に功績を顕彰し感謝と敬仰の誠をここに捧げます」などと刻まれている=2016年9月、パラオ(篠原直人さん提供) アンガウル島に舩坂さんが建立した慰霊碑(右から3番目)は二度の移転や修復を経て、今は島西方の海岸近くに立つ。碑文には「平和の礎のため勇敢に戦った守備隊の冥福を祈り、永久に功績を顕彰し感謝と敬仰の誠をここに捧げます」などと刻まれている=2016年9月、パラオ(篠原直人さん提供)

 宇都宮を本拠とする陸軍第14師団が玉砕した太平洋戦争の激戦地パラオの島々に、戦没者慰霊碑が建てられて今年で50年。建立に尽力した栃木市西方町出身の元兵士舩坂弘(ふなさかひろし)さん(1920~2006年)は戦場から奇跡的に生還した後、著書で戦争の惨禍や平和の尊さを訴え、戦友の遺骨収集を続けた。その遺業は県内ではほとんど語られないが、関係者の心に深く刻まれている。

 舩坂さんは旧西方村の農家の3男に生まれ、1941年に入隊した。44年にパラオへ渡った。旧防衛庁編さんの戦史叢書(そうしょ)(公刊戦史)は「アンガウルの戦い」での舩坂さんの回想を収録している。

 -太ももや腹、腕に重傷を負い、自決も促された瀕死(ひんし)の状態で、一矢報いようと米軍陣営に単身で突入。逆に首を撃たれ意識を失ったが米軍の看護で蘇生し、46年に帰国した-。九死に一生を得た舩坂さんは「不死身の分隊長」とも呼ばれた。

 一方、多くの米兵をあやめたことをもてはやす声もあり、苦悩した。「戦争の英雄扱いはしないで」。長男良雄(よしお)さん(69)=東京都=は父の言葉を借り、今も残る風潮にくぎを刺す。穏やかで優しい父は布団で毎晩うなされていた。消えない戦地の記憶。「父は平和を何よりも大事にした。そこは分かってほしい」