歴史の町・足利には、とってもレトロな魅力ある古い建物がたくさん残っている。その中の一つ、旧「足利盲学校」の校舎を見に、お散歩に行った。

 

 住宅街の中から突然現れたのは、築90年を超す木造建築。塗装は少し剥がれつつも建物や窓には変形もなく、こんな完璧に残っているなんてすごい。健常者と変わらぬ生活をすることで職の幅が広がるように、との考えから、当時の盲学校では珍しい2階建ての校舎にしたんだって。よく見ると、窓ガラスには「栃盲」の2文字が! 本当に昔、目の不自由な子供たちがここで学んでいたんだな。

時が止まっているみたいな旧校舎

 当時の盲学校生たちの“いいね”なエピソードが知りたくて関係者を訪ね歩くうちに、「沿革資料新聞切抜帳第壱号」という古いスクラップブックから、85年前の小さな記事を発見した。なんと同校の生徒約40人が、来日中のヘレン・ケラーに会うために熱い行動に出たという。ヘレンが列車で日光へ向かう途中で小山駅に2分だけ停車するチャンスに、自分たちが作った益子焼の茶わんを車窓越しに手渡そうと、足利から皆ではるばる小山駅へと出向いたのだ。確実に話せる保証もなく、視覚障害で「一目見る」ことも難しいのに!

切抜帳に残る、ヘレンからの手紙(左)と当日の記事

 そして、夢はかなった。ホームから生徒が「私たちの母よ、ようこそおいで下さいました」と声をかけると、ヘレンはうなずき、通訳を介して「わざわざお迎えして下されたあなた方は一生忘れません」と答えたという。たちまち定刻になり列車が去るときの様子を、記事はこう記している。「車窓の聖女、ホームの生徒たちの手と手が離れ、万歳の声はしばし続いた。」

 ---切抜帳には、すぐ後に生徒たちに届いたヘレンからの手紙(通訳代筆)の現物も残されていた。「お互いにハンディキャップを持つ我々でも精進して元気であれば不自由は決してない。/米国へ帰ったら、この町を思い出して(贈られた茶わんで)日本のお茶を戴(いただ)きましょう。/ヘレンケラー 昭和12年7月5日」

 たった2分。でも生徒たちにとっては、一生の思い出に残る夢のような瞬間だったに違いない。