JR上野駅から上野動物園に向かって数分、左手に伸びる石畳の参道に入った。正面に見えるのは、金色の門と社殿。日光東照宮を思わせる匠(たくみ)の技による、華やかないでたちの上野東照宮(東京都台東区)は江戸の人々が遠く日光に思いをはせてきた地だ。

参道の先に見える唐門(手前)と社殿(奥)

 徳川家康(とくがわいえやす)が亡くなる直前、側近の天海(てんかい)と藤堂高虎(とうどうたかとら)に「3人の魂が一緒に静まる場所を作ってほしい」などとした遺言を基に、1627年に東叡山寛永寺境内に建てられた。現在の社殿は51年、3代将軍・家光(いえみつ)が日光まで参詣できない庶民のため、日光に準じて造り替えた。戦禍や地震を免れて現存し、国の重要文化財に指定されている。

 「金色殿」と呼ばれるきらびやかな社殿は、日光と同じ権現造り。社殿を囲む「透塀(すきべい)」は、格子の向こう側が透けて見えるのが特徴で、200枚以上におよぶ植物や動物の彫刻が鮮やかな彩色で施されている。

「金色殿」とも呼ばれるきらびやかな社殿

 中でも上野東照宮を代表するのは唐門の左右、内外の4カ所に施された「昇り龍・降り龍」だ。手掛けたのは「眠り猫」の作者としても知られる彫刻師左甚五郎(ひだりじんごろう)。精緻ながら力強い龍の姿が、唐門の印象をより重厚なものにしている。

 これらの龍には毎夜、隣接する不忍池の水を飲みに行くという伝説がある。禰宜(ねぎ)の嵯峨(さが)まきさん(43)は「朝晩の見回りの時には必ずいますが、夜は神職もみこも休んでいるので、きっとその間に抜け出して戻ってくるのでしょう」と説明してくれた。

 
 

 さらに実は「偉大な人ほど頭を垂れる」ことから、下を向いている方が昇龍だという。確かによく見ると、昇龍は仏教で悟りを開いていることを意味する「玉」をつかんでおり、降り龍の前脚はあと少しのところで玉に届いていない。嵯峨さんは「家康公の教えに基づくことはもちろん、徳が高く、強かった家康公自身を昇龍と捉えることもできます」と語る。

 コロナ禍では、日光への遠足や修学旅行が中止になった都内の学校の見学も多く受け入れたという。「令和の世で江戸と同じ意味でのお参りを受け、存在意義を感じました」と嵯峨さん。時代を超えてつながる栃木と東京の縁を感じながら社殿に向き合い、世界の太平を祈った。

◆上野東照宮 開門は午前9時、閉門は冬季(10~2月)が午後4時半、夏季(3~9月)が午後5時半。拝観は午前9時半から閉門の30分前まで。社殿の拝観料は大人500円、小学生200円。敷地内には「ぼたん苑」もある。