» 動画ページへ

上侍塚古墳の周溝跡。白線より上が江戸時代に光圀が掘り直した後の堆積物

 【大田原】湯津上の国史跡・侍塚古墳の調査を手掛ける県教委は2日までに2021年度の調査結果を公表した。330年前の徳川光圀(とくがわみつくに)による発掘では出土品を記録して墳丘に再埋納したとされるが、下侍塚、上侍塚の墳頂部の電磁探査では地下に鉄製品や鏡の存在を示す反応はなかった。22年度は引き続き、上侍塚古墳の範囲や規模の確定を進め墳丘の状態を確認した上で、墳頂発掘の可否を議論する。

 調査初年度の21年度は、下侍塚と上侍塚の墳頂部の電磁探査と、下侍塚の墳頂部と上侍塚の墳丘全体の地中レーダー探査、上侍塚の周溝の発掘を行った。

 地中レーダー探査は地中に電磁波を発信し、地中に存在する石や空洞、地層の境界などの反射を捉えて地中の状況を調査する方法。段々に造られた段築や、葺(ふ)き石、江戸時代の墳丘修復箇所、光圀が埋納した箱などの確認のために実施した。

 探査の結果によると、上侍塚は、築造時の姿として前方部は2段、後方部は3段に築造されている可能性が高いことが判明。墳頂部の1.5~4メートル下には掘り込みを示す反応があったが、箱の存在確認につながるかは分からないという。

 上侍塚古墳の周溝発掘調査では、北側、西側、南側に周溝が巡っていることを確認した。幅は約20メートルで、深さは後方部西側で約2メートルと最も深く、南北に離れるほど浅くなっていた。墳丘に近い周溝内には葺き石が多数転落しており、土器片も出土。一部のトレンチ(試掘溝)では葺き石と考えられる石敷きも発見した。

 また多くのトレンチで江戸時代に周溝を掘削した痕跡を確認。光圀の指示で墳丘修復を行ったとの記録を踏まえ、修復時に使う土を確保した跡とみられる。光圀の発掘の痕跡確認は初。

 墳丘南側では焼失した築造時の竪穴建物も見つかった。

 県教委は14日、専門家による調査指導委員会を開き、21年度に周溝の発掘に着手した上侍塚古墳の現地調査を実施した。県教委は「築造時の古墳の形や、光圀の発掘時に盛り土された墳丘の状態などをまず確認した上で、埋納品を再発掘するかどうかも含めて議論する」としている。