恩師が開いてくれた教員選考試験の合格祝いで、満面の笑みをみせる優甫さん(遺族提供)

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加していた大田原高の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故は、27日で5年を迎える。それぞれの夢や目標を目指して力強く人生を歩んでいたさなか、突然道を閉ざされた。遺族は5年間、その理由を求めながら、愛息の姿を思い、消えない悲痛と向き合い続けてきた。

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 新任で大田原高教諭となった毛塚優甫(けつかゆうすけ)さん=当時(29)=は、希望して山岳部の「第3顧問」になった訳ではない。小学校から剣道一筋。高校の剣道部顧問になるのが夢で、登山経験はなかった。

 「帽子が飛ばされるぐらい風が強く危ない」「(山岳部の)生徒のペースが速く、ついて行けない」。そんな苦労をこぼす息子に対し、元小学校教諭の父辰幸(たつゆき)さん(69)は「1年はやらなくっちゃな」と励ました。

 変化を感じたのは、夏の登山合宿。帰宅後、優甫さんは「生徒とテントで話すのはものすごく楽しい。生徒がかわいくてしょうがないんだ」と目を輝かせた。立派に成長する息子。生徒のため一生懸命に取り組む姿がまぶしかった。

 事故後、息子を知る多くの人と出会った。「慕われていたんだな」と実感する半面、「救ってやれなかった」との悔恨は決して消えなかった。息子にどう謝っていいのか、苦悩の日々が続いている。

 仏壇には、事故当時身に付けていた黒い腕時計とともに、満面の笑みの写真が飾られている。自分と同じ教諭の道を突然奪われた息子の悔しさを思い浮かべ、辰幸さんは「無念さを晴らすためにあった5年だった」と唇をかんだ。