トレーニングで登った日光白根山の山頂でほほえむ譲さん(遺族提供)

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加していた大田原高の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故は、27日で5年を迎える。それぞれの夢や目標を目指して力強く人生を歩んでいたさなか、突然道を閉ざされた。遺族は5年間、その理由を求めながら、愛息の姿を思い、消えない悲痛と向き合い続けてきた。

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 浅井譲(あさいゆずる)さん=当時(17)=の母道子(みちこ)さん(56)は事故の1年後、現場近くのスキー場を訪れた。眼前に広がっていたのは、水色の大空と真っ白な山容。「あまりにもきれいで、吸い込まれそうになった」。そして確信した。「ゆずは、ここにいる」

 あの日、変わり果てた姿で自宅に戻った譲さん。冷たくなった左手の甲には、ボールペンで「水」と書かれていた。しばらくして、「後輩が水を忘れるから、もう一つ持って行く」と話していたと思い出した。けなげな息子がしのばれ、愛しさが募った。

 小、中学校時、バスケと駅伝に打ち込んだ。走ることを1日も止めることがなかった。大田原高の山岳部に入ってからは、山中を駆けた。

 「ゆずは、どんな思いで走っていたんだろう」。道子さんは事故以来、毎朝30分のランニングが日課となった。走りながら、息子と向き合う日々だ。

 山岳部OBが、自宅を訪ねてくれた。「譲君はお風呂で大騒ぎして、ほかの客に怒られたんですよ」。息子の意外な一面を知り、久しぶりに笑うことができた。

 息子はどのように山に登り、最期は何を話したのか。「充実した17年間を生きていたんだと知ることができたら、あの子が本当に幸せだったと思える」