応援団の一員として大田原高の文化祭で声を張る奥公輝さん。野球部など他部の同級生とも仲がよかった(遺族提供)

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加していた大田原高の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故は、27日で5年を迎える。それぞれの夢や目標を目指して力強く人生を歩んでいたさなか、突然道を閉ざされた。遺族は5年間、その理由を求めながら、愛息の姿を思い、消えない悲痛と向き合い続けてきた。

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 奥公輝(おくまさき)さん=当時(16)=の両親は数カ月前から、遺影の傍らでミニトマトの苗を育てている。幼いころの公輝さんの好物だ。2歳の誕生日には山盛りを用意したこともあった。

 「公輝には『雑だ』って笑われるかも。でも少しでも一緒にいる感じにしたくて」。父勝(まさる)さん(50)はそう言って、小さな赤い実を見つめた。

 もともと「のんびり屋」だった公輝さん。よくポカンと口を開け、あまり意見を表に出さなかった。顔つきが一気に引き締まったのは、大田原高(大高)に入ってからだった。

 山岳部と掛け持ちだった応援団は演舞を初めて見た日、家族の前で入団を宣言した。勉学にも意欲的に励むように。母友子(ともこ)さん(50)は「何事にも熱心な同級生に感化されたみたい。大高が好きな子だったから卒業させてあげたかった」。

 この春、事故当時は中学生だった公輝さんの弟が高校を卒業した。時折発する低い声は在りし日の兄と重なる。高校の卒業式、新生活への準備、スーツの購入など。共に「初めて」を経験するたび、勝さんの胸がうずく。「公輝にはしてあげられなかったな…」

 5年間、遺族の先頭に立って、事故が人災だと訴えてきた勝さん。事故原因の解明や責任追及の場は法廷へ移り、再発防止の歩みも少しずつ進む。一方で、「悲しみの底にいることには慣れてしまった」。