ロードバイクの傍らで笑顔を見せる高瀬淳生さん。幅広い分野に興味を持っていた(遺族提供)

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加していた大田原高の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故は、27日で5年を迎える。それぞれの夢や目標を目指して力強く人生を歩んでいたさなか、突然道を閉ざされた。遺族は5年間、その理由を求めながら、愛息の姿を思い、消えない悲痛と向き合い続けてきた。

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 高瀬淳生(たかせあつき)さん=当時(16)=のスマートフォンは今も、通信回線がつながっている。母晶子(あきこ)さん(55)が毎月料金を支払っているためだ。

 着信が鳴ることはない。ロックがかかったままで中は見られない。それでも「淳生が使っていたものがなくなっていくのが寂しい」と充電を続けている。

 小学生の時に父親を病で亡くした淳生さん。晶子さんとは「四六時中一緒」に過ごした。ピアノ、自転車、山、キャンプ-。幅広い分野に関心を持ち、大田原高では勉強と両立しやすい山岳部を選んだ。

 大学で哲学を専攻するつもりだった。「自分とは何か探求したかったみたい」と晶子さん。淳生さんの部屋に残された形見は、つらくて手にとることができない。進級後に使うはずだった教科書もそのまま。

 生きていたら、何を学ぼうとしていたのか。「私が代わりに見ようと思える日が来るかも」。1ページもめくれぬまま、5回目の命日が来る。

 事故の真相を追求してきた晶子さんの5年間は長く苦しかった。それなのに昨日のことのように思い返すのは、悲報が来たあの日だけ。責任者だった3教諭との対話をずっと望み続けてきたが、刑事責任が問われる法廷での言葉は受け止めきれそうにない。「何を聞いたとしても、心には響かない」