高校1年時、日光白根山の五色沼に出掛けた悠輔さん(遺族提供)

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加していた大田原高の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故は、27日で5年を迎える。それぞれの夢や目標を目指して力強く人生を歩んでいたさなか、突然道を閉ざされた。遺族は5年間、その理由を求めながら、愛息の姿を思い、消えない悲痛と向き合い続けてきた。

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 高校時代の同級生の多くは、この3月に大学を卒業して社会に巣立つ。「将来は体育教師か警察官になると言っていた。どんな大人になったのか」。鏑木悠輔(かぶらぎゆうすけ)さん=当時(17)=の母恵理(えり)さん(54)はつぶやいた。

 家族にとって、3兄弟の末っ子の悠輔さんは「太陽」だった。天真らんまんで、誰とでもすぐに打ち解ける。「座右の銘は」と尋ねると、返ってきた答えは「十人十色」。人と競うより自分のこだわりや楽しむことを大切にする子だった。

 雪崩事故の半年ほど前、父浩之(ひろゆき)さん(56)と趣味で登山を始めた。事故後はやめようと思ったが、山で撮影した悠輔さんの写真を見たのがきっかけで再開した。

 「息子が見た景色を見たい」と、悠輔さんが登った那須岳や日光白根山、富士山に出掛けた。いつも背負うのは悠輔さんが愛用していたリュック。悠輔さんの写真と同じ角度から写真を撮るのが楽しみとなった。

 事故の2年後に大田原高を訪問した際、登山講習会の責任者だった教諭が口にした「(亡くなった生徒を)たまに思い出します」の言葉にショックを受けた。

 「私は息子のことが片時も頭から離れない。心からの謝罪をしてもらうために裁判までしなければならないことが、どれだけ悲しいことか分かってほしい」