登り窯のあった場所に立つ藤田さん。崩れた窯のれんがが整然と積まれている=5日午前、那珂川町小砂

 2011年3月の東日本大震災は栃木県那珂川町に息づく手仕事の里、小砂(こいさご)にも爪痕を残した。小砂焼の草創期から続く老舗の窯元、藤田製陶所では1957年に築いたれんが造りの登り窯が倒壊し、今も再建を果たしていない。被災当時、既に主力としていたガス窯が無事だったため生産はほどなく再開できたが、6代目の藤田真一(ふじたしんいち)代表(68)は「登り窯ならではの優しい風合いから遠ざかり11年。寂しさはある」と打ち明ける。

 藤田さんによると、倒壊した登り窯は先代の父親、博(ひろし)さん=故人=が30代の時、製陶所の職人たちと手作りで築いた。焼成室は5段あり、それまで使っていた大型で10段の登り窯の上5段分を取り崩し、小ぶりに造り直したものという。

 かめやすり鉢から食器、花器など小品へと需要が変化していた時代、窯の大きさを合わせた形だ。また焼成に大量のまきをくべ続ける手間がある登り窯から、ガス窯や電気窯への移行期でもあり、藤田さんは「登り窯を無くすのは忍びなかったのかも」と父の思いを推し量る。

 陶芸家としての探究心もあり、そんな登り窯を藤田さんは1997年からイベントに活用。毎春、登り窯向けに茶わんや花瓶を作り、自ら山で松のまきも調達して、50時間に及ぶ焼成の様子を大勢の陶芸ファンに公開してきた。

 震災で窯が崩れた瞬間を「音で分かった。やはりショックだよね」と振り返る。復旧ボランティアの協力もありれんがは整然と片付けられ、現場にはがらんとした雰囲気が漂う。ガス窯で生産を再開し「流れ」を取り戻した今、登り窯を再建する時間的なゆとりがなかなか生まれず、歯がゆさを感じてきたという。

 登り窯による焼成は器にまきの灰が付着し、表面に微妙な凹凸をもたらす。狙い通りの仕上がりを得やすいガス窯に対し、偶然が生む焼き上がりの不均一さも大きな魅力だ。

 バブル経済崩壊以降の陶芸界の苦境に震災が追い打ちとなり、被災前に6軒あった小砂焼の窯元のうち2軒は廃業を選んだ。長男悠平(ゆうへい)さん(30)と共に、小砂焼160年の伝統をつむぐ藤田さん。今のところ具体的なプランはないものの、「もう一度登り窯で焼きたいという思いはある。造るなら3段くらいの小さい窯にして、まき窯の風合いを皆さんに感じてもらえたら…」と話している。