おそらくどんなことでも同様だと思いますが、何かを消費するよりも、作り出す作業のほうがずっと大変です。時間もエネルギーも多く必要です。

 あり余るモノ、あり余る情報、あり余る娯楽。現代社会において、現代人は消費することについてかなりのプロフェッショナルであると言えましょう。

 私は教育現場で、技術者つまり「作り出す」プロフェッショナルを育てようと日々奮闘しています。その過程で「消費者として培われた自身の審美眼によって自分の拙い創造性の芽がくじかれている」という人たちを度々目にしてきました。

 学生たちは、ちまたにあふれた専門家の作品や商品を妥当に批評できる良いセンスを持っています。一方で自分自身の創作能力はまだ拙いので、その批評のナイフが自分自身にも向いてしまい、作ろうとするものや作ったものに対して許せなくなり、創造活動をためらってしまうのです。

パソコンで遊ぶ子ども。昨今は子どもがゲームやアプリを使用する機会が増えている

 そもそも消費者として興味を持った対象を「自分も作る側に回りたい」と思うことが、専門家を志す最も自然な動機でしょうから、この「作る側に回ったときの自意識のギャップ」をどう克服するかは避けがたい通過儀礼となります。

 技術と社会の発展によって、消費することと作ることはますます分断されてきており、特に情報技術の世界では顕著です。

 便利なアプリや面白いゲームに多くの人が日々接しています。ただ、どういう仕組みでそれが作られて動作しているかは、使用者に見せないようにするのが作る側の美徳ですから、この分断とギャップは顕著になりやすいのではないかと感じています。

 昨今では、大学に入学して初めて、その分野の専門技術に触れるという人は少なくありません。

 基礎的な技術を学び、さてこれから本格的に自分のものづくりを始めようとする学生に対し、私は「これからあなたが作ろうとするものは、最初のうちはほとんどの場合、あなたにとってとてもつまらないと感じるものでしょう。しかしその繰り返しをする以外に、望みのものを作れるようになる道はないです。でもきっとその過程のどこかで、自分が作ろうとしているものに対していとしいと思える瞬間が来ますよ。損得勘定で考えれば割に合わないけどね。頑張って」と諭しています。作ることは苦く、ときどき甘い。