社内外の多くの方々の理解を得て、先月、「幻の日光冬季五輪-昭和11年、敗れた招致活動」の連載企画を完遂させた。2年前の春、新型コロナウイルスの発生でスポーツ取材が一気に減った。その際、「空いた時間を有効活用できないか」と手弁当で始めた取材が北京五輪の開幕1カ月前に日の目を見た。

 「記事になるかどうか分からないが話を聞かせてほしい」。識者の方々にそう話すと、皆さん快諾し時間をつくってくれた。その恩に少しでも報えたのなら幸いだ。

 後日談だが、実は日光市の招致活動は2度ある。2度目は1968年大会の招致を目指すもので、1回目以上に「札幌ありき」が色濃い招致合戦だったが、日光市は再び名乗りを上げて本気度を示した。

 詳細な計画は61年4月の市の広報に記載されている。スケートリンクを湯元に、選手村を小田代原に建設するなど興味深い。北京五輪は熱戦真っただ中。歴史を知った上で見る冬の祭典もまた格別だ。