スピードスケートの審判員を務める大橋さん。自身も国体に出場した経験から温かい目で選手たちを見守った=28日午後、日光霧降スケートセンター

 28日に最終日を迎えたスピードスケート。県スケート連盟事務局長の大橋通康(おおはしみちやす)さん(65)=日光市在住=は4日間審判員を務め、公正で隙のないジャッジで国体を支えた。長年、小学校教員を務め、多くの選手を指導してきただけでなく、自身も教員時代に国体へ出場するなど競技の発展に貢献。「感慨深いね」。霧降に功労者の言葉が響いた。

 大橋さんのキャリアはトップ選手とは少し違う。大学卒業後教員となり、日光小に赴任。スケートが滑れたことから部活動の顧問を任されたが、競技自体は全くの素人だった。「どうせやるならうまくならないと」と指導しながら児童たちと共に技術を磨いた。

 県大会にも出場するようになり、さらに上達。数年後には国体標準記録も突破するほどのレベルとなり、1986年の山梨国体を皮切りに6度も国体に出場した。「自分も出場したからこそ心境がよく分かる」と選手たちを見詰める。

 小来川小に赴任した際は国体出場を聞きつけた保護者から「スピードスケート部を創ってほしい」と要望を受け一から部を設立。通算15度の国体出場を誇る襲田衡俊(おそだひでとし)さん(33)ら多くのトップ選手を育てた。

 並行して県連盟役員としても後進を育成。今大会に成年男子で出場した宇賀神怜真(うがじんれいま)選手(22)=大東文化大=も小中学校時代に指導を受け、「優しく、頼りになる先生だった」と話す。選手引退後は審判員としても尽力。28日も走路妨害をジャッジするなど審判としてリンクの隅々まで目を光らせた。

 現場に立ち、何よりもうれしいのは目の前で地元国体のレースに臨む教え子たちの滑りが見られることだと言う。「スピードの灯を消さぬよう頑張ってきた。道は続いている」。小さなきっかけから生まれたスケートの道。その道を教え子たちはしっかりと歩んでいる。