足尾鉱毒事件の解決に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)の思想と行動を伝える佐野市の市民団体「田中正造大学」が来春、35年の歴史に幕を閉じる。発表のあった11日はちょうど、壬生町出身の環境学者宇井純(ういじゅん)さんの命日だった▼全国で公害の嵐が吹き荒れていた1970年、現状を伝える夜間自主講座「公害原論」を東京大で開講したことで知られる。多くの市民が聴講し、その中には後に正造大学事務局長となる坂原辰男(さかはらたつお)さんもいた▼実家の目と鼻の先に正造の生家があったが、講座で初めて生きざまを知った。「全国に自主講座を作って地域を変えよう」。宇井さんがまいた種を受け止め、86年、仲間と“開校”した▼「若い人が堅苦しくなく学べるように」。1年ぐらいと思って始めた活動は、再び正造が脚光を浴びた東京電力福島第1原発事故を挟み、綿々と続いた▼20年ほど前、沖縄大教授に転じた宇井さんを那覇市で取材した。病を抱え「闘う学者」の面影は薄れたが、曲がったものは許さない強い目は健在だった。「各地の公害が重なり合ったものが地球環境問題です」▼それは今、気候変動というすさまじい公害となって私たちの前に立ちはだかる。大きな木となった正造大学がまいた種が各地で育ち、地域から環境を守ろうとする動きが高まることを、正造も願っているに違いない。