99歳で亡くなった作家、瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんにとって北京の繁華街は「無性になつかしい心の故郷」(著書「寂聴中国再訪」)だった。1943年から3年間、北京の大学で中国古代音楽史を教えていた日本人の夫に伴って滞在し、長女を出産した▼夫が召集され、45年8月、天皇の玉音放送をひとりで聴き、1歳の娘を抱えて途方に暮れた。日本人は殺されるのかと怖かったが、親切な中国人の助けで生き抜き、夫は帰ってきた▼「中国に骨をうずめたい」という夫に賛成し北京に住み続けたが、中国軍に見つかり引き揚げを強制された。46年、焦土と化した古里、徳島市に帰り、空襲で母と祖父が死んだと知ってがくぜんとする▼「戦争はすべて人殺しです。二度と起こしてはならない」。2015年、瀬戸内さんは安全保障関連法案の反対集会に参加した。生涯を通じて反戦や核兵器廃絶などを訴え続けたのは、重い戦争体験があったからだ▼02年8月には、1937年7月に日中両国軍が衝突した盧溝橋事件の北京郊外の現場を訪ね、住民から凄惨(せいさん)な事件の様子を聞き取り「寂聴中国再訪」で紹介した▼瀬戸内さんは憲法改正など政治の動きを戦争への道と捉え、自らの戦争体験を「現代の人々に伝えるために命を与えられている」と記した。反戦の遺志をしっかりと引き継ぎたい。