西方城跡は栃木市西方町の丘陵にあり、北西部から関東平野をにらむ。1590年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が北条氏を攻めた小田原征伐の際、東国の領主や城を書き記した古文書にも登場する軍事的要衝であった▼市が国指定史跡登録を目指し、2018年に開始した二条城跡を含む発掘調査が今月終了する。報告書を23年度、文化庁に提出する▼西方城は中世の名門武士団、宇都宮氏一族の西方氏の山城だった。築城は出土品によって15世紀後半から16世紀にかけてと推定される。二条城は戦国末期の築城と考えられ、江戸期には西方藩の陣屋が置かれたという▼両城跡は谷を挟んで位置しており、南北に約600メートル、東西は約900メートルの規模で広がる。地元では鶴が翼を広げた格好とも形容される西方城跡は、戦国時代の山城建造の技巧や工夫が集積し、全国的にも貴重な史跡という▼十重二十重の土塁や竪堀、本丸(主郭)ほか五つの曲輪、屈曲し複雑化した通路の跡などが確認されている。二条城跡も大規模な造成が確認され、土塁の内側には石積みが発見されている▼しかし二つの城の関係性など謎は多い。「国指定になれば調査に弾みがつく」と、発掘に当たる元とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター副所長の初山孝行(はつやまたかゆき)さん(66)。また一つ郷土の歴史が解明される契機になるといい。