■船田氏13選、強固な基盤 1区

 自民党前職船田元(ふなだはじめ)氏が知名度と組織力で13選を果たした。県内選挙区で唯一、野党共闘が実現しなかった1区。乱立した野党は「非自民」の受け皿になり切れず、強固な支持基盤を持つ船田氏に太刀打ちできなかった。

 船田陣営は秋の衆院選に照準を定め、9月に本格的な準備を始めた。佐藤栄一(さとうえいいち)宇都宮市長、福田富一(ふくだとみかず)知事の両後援会や地域に根を張る自民系市議、県議がフル回転。昨年の市長選のノウハウを生かし計画的な選挙戦を展開した。約200に上る推薦団体や公明党とも連携し着実に票を固めた。

 選対幹部は「逆風もなく、追い風もなく、ほぼ無風」と説明。これまで対抗勢力の伸長を支えた1区特有の無党派層も一定程度押さえた。

 2度目の挑戦となった立憲民主党新人渡辺典喜(わたなべのりよし)氏は「世代交代」をキーワードに戦ったが、選対の運動不足は否めず、うねりを起こせなかった。連合栃木が支持したものの、国民民主党の積極的な支援が得られず、今後の選挙戦に課題を残した。

 みんなの党、民主党、希望の党に続き、日本維新の会から立候補した柏倉祐司(かしわくらゆうじ)氏。元職の強みを生かし、「第三極」勢力の再起を目指して浸透を図ったが及ばなかった。

■福田氏、態勢強化が奏功 2区

 県内で唯一、野党の牙城だった選挙区を立憲民主党前職福田昭夫(ふくだあきお)氏が死守した。小山から日光へ転居し初の国政に挑んだ自民党新人五十嵐(いがらし)清(きよし)氏は、党内の公認争いが尾を引き勝利に届かなかった。

 「昭夫党」と呼ばれる党派を超えた熱烈な支持層と知名度で福田氏が先行した。長年、激戦を繰り広げてきた西川公也(にしかわこうや)元農相に替わる新顔との一騎打ち。相手陣営の戦いぶりは未知数で、五十嵐氏の若さや支持者の高齢化に危機感もつきまとったが、地区別に選対を立ち上げるなど態勢の強化が奏功した。

 野党統一候補として非自民票を集め、5期の実績で連合栃木からも変わらぬ支援を得た。最終盤は大票田でフル回転。「地元出身」と「世直し選挙」を訴え、猛追を振り切った。

 地盤のない五十嵐氏は与党の組織力で街頭演説や企業回りを精力的に重ねた。公認争いの末、比例に回った西川鎭央(にしかわやすお)氏や父親の公也氏も応援に入り「融和」をアピール。保守票を着実に固め追い上げた。

 しかし公認を巡る混乱が公示直前まで続き、活動は大きく出遅れた。短期決戦で知名度を浸透させるのは難しく、公認を巡る不満も一部でくすぶり続けた。保守が分裂した5月の日光市長選のしこりや自民勢力が割れている地域もあり、一枚岩にはなり切れなかった。

■簗氏、組織引き締め圧勝 3区

 4選を目指した自民党前職簗和生(やなかずお)氏が、国政初挑戦の立憲民主党新人伊賀央(いがひろし)氏に圧勝した。

 簗陣営は、後援会総連合会長に津久井富雄(つくいとみお)大田原市長が就任後、那須町を皮切りに各市町に後援会を立ち上げ、態勢を整えてきた。選対本部には簗氏と関係が良くない地元の一部県議は入っていないが、各市町の支部が機能し、街頭演説に地元首長や市町議らが協力、支持拡大に貢献した。

 公明党県本部の山口恒夫(やまぐちつねお)代表も何度も応援に駆け付け、小選挙区は簗氏、比例区は公明への支持を呼び掛けた。簗氏は国とのパイプ役としての実績と、政策実現力を持つ与党としての強みを訴えた。優位が伝えられる中、投票率低下を懸念。大量得票が国政での活躍の後押しになると組織を引き締め、目標の8万票を超えた。

 伊賀氏は知名度向上のため、選挙カーに乗ってアピールし、街頭演説をゲリラ的に展開。国のコロナ対策を批判し、地方議員6期24年の経験に基づく即戦力を訴えた。

 伊賀陣営は、野党共闘の相手である共産党とは距離を取る一方、連合栃木の支援を受け事業所前の「門立ち」も実施。初の“不戦敗”を選んだ渡辺喜美(わたなべよしみ)参院議員を支持する「渡辺党」関係者にも協力を依頼したが、大きな票には結び付かなかった。

■佐藤氏、活動を巻き返す 4区

 4度目の顔合わせにして初の一騎打ちとなった自民党前職佐藤勉(さとうつとむ)氏と立憲民主党新人藤岡隆雄(ふじおかたかお)氏の対決は、またしても佐藤氏に軍配が上がった。最後の決め手は、やはり組織力の差だったと言わざるを得ない。

 総務相、党総務会長などを歴任した大物の佐藤氏にとっては不本意な戦いだったかもしれない。過去3回の戦いと同様、圧勝でねじ伏せたかったはずだ。だが事前の各種世論調査は、早くから藤岡氏の猛烈な追い上げを示唆していた。

 実績をこれ見よがしに誇示するのを嫌う人だが、今回ばかりはその美学をかなぐり捨てて自己アピールにもいそしんだ。背後に迫る足音を振り切るには、首長や地方議員、各種団体に張り巡らせた組織力に頼るしかない。「活動が末端まで行き渡るのに3カ月かかった。最後の最後に間に合った」と佐藤氏は振り返る。

 接戦の背景には、大票田の小山市を地盤とする藤岡氏が戦いを優位に進めたことにある。「小山から国会議員を」「若い力で政治を変える」というキャッチフレーズは、都市部の市民の共感を呼んだ。

 藤岡氏は昨年の小山市長選で、自公推薦の現職を打ち破った立役者の1人でもある。事実上の野党統一候補として、非自民の受け皿として期待されたが、組織力の壁は高かった。

■トップ期待、茂木氏盤石 5区

 自民党前職で外相の茂木敏充(もてぎとしみつ)氏が10万票を超える得票で盤石の10選を果たした。投票率も前回の50・57%をわずかだが上回り、陣営が訴え続けた「次の総理総裁を目指す戦い」に、有権者が期待を込めた1票を投じた結果と言えるだろう。

 選対委員長を務めた自民県連の木村好文(きむらよしふみ)幹事長は事務所開きで「総理を目指すための選挙になる。圧倒的な勝利を目指さなければいけない」とげきを飛ばし、茂木氏自身も「岸田政権が発足したばかり。今すぐということではないが、チャンスがあれば挑戦したい」とトップを狙う意欲を隠さなかった。

 支援者からは「選挙が終わったら、まず(現職の)自民党旧竹下派会長代行から(空席になっている)会長に収まってほしい」との声が聞かれた。竹下登(たけしたのぼる)、小渕恵三(おぶちけいぞう)元首相らの流れをくむ伝統ある派閥のトップに立てるかどうか。今後を占う試金石になりそうだ。

 共産党新人で佐野市議を合併前を含め6期22年務めた岡村恵子(おかむらけいこ)氏は、力及ばなかった。看板閣僚との一騎打ちだったが、復活当選の可能性がある比例代表との重複立候補もなく、立憲民主党の共闘もなく、政権批判の十分な受け皿にはなれなかった。共産との共闘に終始否定的だった5区内の立民勢力は、次はきちんと独自候補を立てて戦うべきだろう。