森山真弓さん

 14日午後、93歳で亡くなった元衆院議員の森山真弓(もりやままゆみ)氏は、女性として初の官房長官をはじめ、法相や文相を歴任し、社会で活躍する女性の草分け的存在だった。森山氏を知る県内関係者は18日、訃報に際してその功績をたたえ、追悼の意を表した。

 「潔白で、曲がったことが嫌い。自分にとって政界の『厳母』だった」

 こう語る船田元(ふなだはじめ)衆院議員(67)の頭に浮かぶのは、1980年の衆参ダブル選。森山氏の夫で元運輸相の故欽司(きんじ)氏と議席を争う中選挙区時代、森山氏が参院選に初出馬した。

 機先を制したのは森山氏。「絶対に私のことをやってくれますよね」。迫られた船田氏は「たじたじになった」という。結局「衆参は別物」と、欽司氏と戦う傍らで森山氏を応援した。

 森山氏から自民党県連会長を継いだ茂木敏充(もてぎとしみつ)外相(66)は「誰とでも気さくに接する優しい人柄と、物事に動じない毅然(きぜん)とした姿が印象に残っている」とコメント。「県連会長の重責をしっかり果たすことで、頂いたご指導の恩返しになれば」と故人に誓った。

 かつての支持者からも哀悼の声が相次いだ。鹿沼市の古峯神社宮司石原敬士(いしはらけいし)さん(78)は「女性議員活躍の先駆者として頑張ってこられた」、日光市今市、新沢敏章(しんざわとしあき)さん(80)は「真面目で正義感が強く、後にも先にも真弓先生のような政治家はいない」と惜しんだ。同市岩崎、森山良一(もりやまりょういち)さん(87)、勝子(かつこ)さん(85)夫妻は「気さくで優しくて偉ぶらず、欽司さんとおしどり議員だった」と声をそろえた。

 政界引退後もカメラをたしなみ、欽司氏が創設した日本カメラ財団の理事長も務めた。同財団の田村昌彦(たむらあきひこ)常務理事は「日記帳代わりに写真を撮るのがモットーだった」と回想する。常にカメラを持ち歩き、デジタルが主流になってもフィルムカメラを愛用していた。

 森山氏が2007年に学長に就いた白鴎大の北山修(きたやまおさむ)現学長は「退任後も本学の大きな後ろ盾となっていただいた」と謝意を述べた。

 25年近く秘書として仕えた星剛(ほしつよし)さん(58)は「母親のような存在。柔軟性がありながら、筋を通す人だった」。男女平等の実現に尽くした森山氏の言葉を思い出す。「男性、女性というより、人として平等な社会づくりよね」