多数の死者・行方不明者を出した静岡県熱海市の土石流発生から2カ月余り経過した。その熱海に東海道新幹線が開通したのは、1回目の東京五輪が開かれた1964年だった▼高度経済成長の波に乗り、昭和の熱海は栄えた。「東洋のナポリ」と称された景勝地は、コロナ禍に追い打ちをかけるこの災害で観光客の足が遠のき、ダブルパンチを受けた▼60代の新野陽子(にいの・ようこ)さんはここで20年余り、スナック「月世界」を経営してきた。「売上高はコロナ禍前の半分以下。土石流は市街地に影響しなかったけれど、県外の人には市全体が被害を受けたという印象を持たれて…」▼土石流による流木が危険という理由で、今夏の海水浴場は「くるぶし程度」までしか入れない規制に。行方不明者がいるため、名物の花火大会も中止を余儀なくされた▼バブル崩壊後「廃れた」と言われ、財政破綻の危機から「第2の夕張市」になる可能性もとりざたされた。それが、昭和レトロな雰囲気が受けるなどしてこの10年ほど再び人気を盛り返している。そこをコロナ禍が襲い、土石流が畳みかけた▼2回目の東京五輪をかくも過酷な状況で迎えるとは誰が予期しただろう。その後も日本各地では災害が相次ぐ。コロナ禍との二重苦は熱海だけの話ではない。後世、今回の東京五輪はどう評されるのか。