ご想像どおり、米国の公教育は多様性を重んじ、自由度が高いです。

 初等教育においても教科の選択の自由があり、運動系のクラブ活動を行っていれば体育の授業は免除になるなど、全員になるべく同じ教育を施そうという思想が毛頭ないことを痛感します。それぞれが得意で楽しいと思えて、伸ばせる部分だけを伸ばせば良いという価値観ですね。

米国在住時、栗原さんの子どもが通っていた学校のスクールバス。毎朝、自宅の近所に迎えに来た

 一方で、学びが多様になるほど、標準的な教育の道筋というものが決めにくくなります。個々の科目での深まりや積み重ねといったものが犠牲になっているかもしれません。

 教育職である私の妻が、ボランティア活動として授業の手伝いをしながら米国公教育の内情を観察しました。すると、一人一人の個性に応じた教育を行っている点は感服するが、かといってそれぞれの学びの内容を見てみると、「日本に比べて取り立てて優れているとは思わない」という見解にいたったそうです。

 私のロシア人の友人と議論していた際も、彼は自身が受けたロシア(あるいは旧ソ連)の、徒弟制度に近い厳格な教育方法と比較し、米国の教育について批判していました。

 学問には先人が試行錯誤で築いた本質的理解にいたる王道があり、それを強要する規律が必要なのだ。アメリカのように学ぶ教科や手順を学ぶ側の自主性に任せたら、そこに到達できない。アメリカの教育はつぎはぎだらけであって、体系だっていないというのです。

 彼の意見は、かつての日本の教育観とも通い合うところがありそうですね。

 規律は不適合者を生み、それを矯正あるいは排除しようとします。一方で自由は自己責任と繋がり、やがて経済格差として現れて、弱者をやはり追い詰めていきます。どちらが正しいのか、私にはわかりません。

 アメリカは常に人が流入する移民の国ですから、全員を律して育てるというよりは、好きにさせておいても一定数現れる各分野の優良個体を待てばよい、という繁栄戦略が取れるというだけなのかもしれません。