豊富な運動量で常に攻撃参加を狙うDF狐塚(日本協会提供)

 将来の夢は「ピアノの先生」。そんな音楽好きな少女が25歳でたどり着いたのは、五輪の大舞台だった。

 保育園でピアノを習い始め、小学時代は金管バンドでトロンボーンを担当。ルールも知らないホッケーは、中学入学時に先輩に誘われて始めた。

 ただ生粋の文化系というわけではなく、運動会ではリレーの選手に選ばれるなど「活発な方だった」。この頃から負けず嫌い。そんな性格が道を開いた。

 競技歴3年にも満たない中学3年、初参加した日本代表U-16の選考会が一つの契機に。落選に「すごく悔しくて。『日本代表になりたい』という気持ちが強くなった」。リオデジャネイロ五輪時に本格的に意識し始めた五輪。だが母親によると「中学の頃から(五輪に)出たいと言っていた」。本人は「覚えていない」と笑うが、常に最高峰の舞台はモチベーションとなり続けた。

 グラクソ・スミスクラインではMFとして攻守の中継役を務める。リオ五輪後の日本代表選考会はFWを志望したが、当時のアンソニー・ファリー監督に勧められたのはDF。代表レベルでは未経験のポジションに戸惑ったが「監督がDFに向いていると思う何かを見つけてくれたのがうれしかった」と挑戦。スピードを生かした攻撃参加と鋭い読みのインターセプトを武器に、左サイドを任されるようになった。

 五輪を経験した元チームメートで同郷の阿久津智恵(あくつちえ)さんや渡辺(わたなべ)あかねさん(旧姓柴田(しばた))といった憧れの先輩の背中に追い付いた。だが「出場するだけでは終わらない。しっかり結果を残す」と金メダルの目標はぶれない。夢に見たフィールドを駆け、ハーモニーを奏でる11人の1人になる。

 【プロフィル】こづか・みき 1996年生まれ。日光市出身。大沢中-今市高。2014年にグラクソ・スミスクラインに加入。16年アジアチャンピオンズトロフィーで代表デビューし、19年は五輪テスト大会に出場した。155センチ、51キロ。25歳。