渋沢栄一(しぶさわえいいち)は1873(明治6)年、明治新政府の大蔵省官僚を退官し、第一国立銀行を設立。「日本資本主義の父」と称される第一歩を踏み出した▼多忙を極めていたはずだが翌年1月、真岡市柳林(やなぎばやし)に「柳林農社(りゅうりんのうしゃ)」を立ち上げた。株主5人はいずれも縁戚関係で、渋沢一族経営の会社だった。現地に住んで支配人となる福田彦四郎(ふくだひこしろう)は栄一とはいとこで、同じいとこの渋沢喜作(きさく)の妹と結婚した▼県立文書館の常設展がリニューアルされ、柳林農社の関係史料が初公開されている。栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が放映中ということもあり、なかなか興味深い▼会社は蚕種(さんしゅ)製造と製茶業を目的とした。蚕種とは養蚕に使用する蚕の卵の生産で、多数の卵を産みつけた蚕卵紙(さんらんし)は、明治時代初期の日本にとって生糸と並ぶ重要輸出品の一つだった。社屋は総2階建てで幅が60メートルあり、地元では三十三間堂と呼ばれていたという▼県庁へ提出する書類について栄一が福田に細かく指示した手紙や、東京深川で廻米問屋を営んでいた喜作が福田に米の商況情報を伝える手紙からは、一族の深いつながりが感じられる▼第一国立銀行からの融資も受けたが、輸出不振や不況のあおりで87年に廃業した。本県では最も早い時期にスタートした株式会社だっただけに、13年の短命は残念だった。