1995年3月、東京・霞が関で起きた地下鉄サリン事件。国会の記者クラブに勤務していた筆者が、官庁街で目にしたのは、未曽有のテロそのものだった▼通行止めとなった通りを疾走する緊急車両。空を飛び交うヘリコプター。道路脇にはうずくまる人の姿も。1月には阪神・淡路大震災が発生したばかり。数日後にオウム真理教による犯行と判明するが、この国はどうなってしまうのかと底知れぬ不安を覚えた▼この事件から23年という月日が流れ、オウム真理教の松本智津夫(まつもとちづお)死刑囚ら7人の死刑が執行された。死刑囚が全国各地に移送された時点で予想はされたものの、突然の感はぬぐえない。尊い命を無残にも奪われた遺族や今なお後遺症に苦しむ被害者らの心情を察すれば、当然の極刑であろう▼本県との関わりで忘れることができないのが、99年から翌年に掛けて信者らが大田原市佐久山地区に進出した出来事だ。極限の不安と緊張を強いられた住民らの粘り強い反対運動で撤退に追いやった▼バブル期に若者らの心をむしばんだオウムという存在は、特異まれな教祖による狂気の産物と片付けることはできない。閉塞(へいそく)感極まる現代においても宗教の名を借りた化け物が、再び現れはしないだろうか▼事件を風化させることなく、後世に伝えることが何よりも求められている。