江戸幕府の基盤が固まり、文治政治が始まった4代将軍家綱(いえつな)の時代。日本最古の学校とうたわれた足利学校には、林羅山(はやしらざん)や人見竹洞(ひとみちくどう)といった多くの儒学者が訪れた。儒教の経書などを書写し、全国各地に教えを広めていたという▼孔子を祭ろうと、学校の敷地内に大成殿(孔子廟(こうしびょう))が造営されたのも、ちょうどそのころだ。建物に続く「入徳」「学校」「杏檀(きょうだん)」の3門とともに国の史跡を構成する▼大成殿と3門が誕生し、今年で350年がたつ。大成殿の初めての大規模修理も近く始まることから、史跡足利学校事務所は10月14日まで、遺蹟(いせき)図書館で企画展を開いている▼紹介されている資料は、建物や門名の由来とされる古文書や、扁額(へんがく)の元となった書跡など。「足利の歴史や文化をより深く理解してほしい」と担当者は話す▼市民憲章の最初の項目に「足利市は日本最古の学校のあるまちです」とあるように、足利学校は市や市民にとって特別な存在だ。整理や清掃、整頓などの頭文字を取って足利商工会議所が進める業務改善活動「足利流5S」にも、孔子の論語が生きているという▼例えば「巧言令色、鮮(すくな)きかな仁」だ。5S流に訳すと「口先だけ、取り繕ったものはやがてメッキがはがれる…」。会期延長で論戦を再開させた国会議員にもぜひ、肝に銘じてもらいたい教えである。