「2011年の北国の春は悲しい春になった。何時もなら、南から桜前線の便りが、届けられ、その北上に、心が躍った。今年はその便りに浮き立つことはなかった。しかし、桜は咲いた。今年ほど桜の下の命の大切さを思わない春はない」▼江戸文学の研究で知られ、立教大教授も務めた渡辺憲司(わたなべけんじ)さんが10年前、校長だった立教新座中学・高校の入学式で語った一節だ。東日本大震災から、まだ1カ月もたっていなかった。このあいさつの中で、東北を旅した江戸時代の俳人、松尾芭蕉(まつおばしょう)のこんな一句を紹介した▼「命二つの中に活きたる桜かな」 この句を「20年あまりも会うことのなかった友人二人が、命あって再会することができた。その喜びの二人の中に、桜がいきいきと咲いている」と解説する▼自分の命はわが身一つで決して支えられるものではない。「“命二つ”と、考えることは、相手の心に近づき、自分の身を相手に重ねることである。互いに命の尊厳を認め合うということだ」。渡辺さんが芭蕉の真意を説く▼地鳴りのした激しい揺れと、東北の大地を襲った大津波。そこで無情にも失われた命が、今を生きる者の命を過去、現在、未来へと支え続ける▼新型コロナ禍、そして大震災と原発事故から10年。「命二つ」の言葉が内包する人間の優しさと愛を大事にしたい。